2000年の4月10日から13日まで、東京は神楽坂のダンス・スタジオ、セッションハウスで開催されたジャン・サスポータス氏のダンス・ワークショップに参加した。
サスポータス氏は、ピナ・バウシュのカンパニーで踊ってきた人で、今回も韓国公演に会わせて来日したということ。チラシによると、ワークショップではアルビン・ニコライのテクニックをベースにした方法で動きの分析をする、ということだった。最初に「ピナ・バウシュのテクニックのことは忘れてくれ」と言われる。
僕が参加したのは初心者向けのコースで、実質的に行ったのは簡単な手足の動きを様々なバリエーションで組み合わせて動かすことだけ。そこから発展する、ごく簡単な振りのダンスも、少しだけあった。しかしそれは、基礎がどのように活用されていくのかを少し確かめるような作業だ。
サスポータス氏は大野一雄の教えも受けていたり、太極拳を習っていたりもするようで、簡単な動きとあわせて、呼吸法や「気(energyと言っていた)」を感じることなども指導された。床から天にむけてエネルギーの流れを感じること、常に床から動き始めることが繰り返し注意される。手を伸ばすときにも、手が彼方までのびてゆくことをイメージすること、手を旋回させるときも、壁を撫でるようなイメージを持つことが要求される。
「気」と言われるとき、中にはそれを実体化して本当に気の流れがあるように考えて、時にはある種の神秘主義にはまりこんで行く人も実際居るわけだが、サスポータス氏は、大事なのは動く時に感じる感覚だ、と注意していた。
例えば、腕をあげる時に動かされる筋肉は、主に背中にある筋肉だろう。また、指を動かすとき、動いている指とは別の所にある筋肉が指を動かしている。案外、一生こんな単純なことにも気付かないままの人が多いかも知れない。腕の中にある、腱で指と結ばれた筋肉を動かすことで、我々は指を動かしている。左手で下の腕をつかみながら、手を開いたり閉じたりすれば、そのことが良くわかるだろう。
しかし、指を動かすときには、指を動かそうと意図しているのであって、指と対応した筋肉を動かそうと意図してはいない。ここでは、いわば指の動きのイメージと、指の動く感覚とが結びついていて、この結びつきがあるから、我々は指を動かす事ができる。逆に、親指を動かす筋肉を直接動かそうとしても、無理なのだ。
日常的な動きは、手足の動きのイメージと、実際の筋肉の運動、そして動きから帰ってくる内的感覚や、触覚、視覚の反応とが結びついた一つの体系をなしている。
ダンスを学ぶことは、日常とは別の動きの体系を身につける事でもあるだろう。動きによって引き起こされる、知覚や内的感覚の変化を、身体を動かそうとするイメージと結びつけることによって初めて、身体運動の体系を自分のものにする事ができる。そして、生まれたばかりの赤ん坊が歩き始めるまでのあいだに学んでいることを、ダンスにおいて別の仕方で学び直す時、様々なイメージを活用することが効果的なのだ。
優れたダンサーは、自分固有の動きのイメージを持っているに違いない。即興的にダンスするとき、手が自ら動いているように感じることがあるけれど、これは動きのイメージとフィードバックされる感覚の間に一つの調和が、一つの回路が形成されていると言うことなのだろう。
例えば、足の指を動かすような些細な運動でも、座っているか、寝ころんでいるか、また足の姿勢がどうなっているかに応じて、様々な感覚を引き起こす。同じ動きを多様なバリエーションで繰り返して行くうちに、どれほど感覚が変化するものかに驚かされる。また、サスポータス氏が伝えようとしているイメージ、感覚がどんなものかに次第に気付かされてゆく。何かをつかみかけたところで、4日間のレッスンは終了。ワークショップはさらに発展させたシリーズもあったのだけど、君には難しいだろう、と言われてしまった。残念。
ごく単純な公理から、複雑な幾何学の体系が導かれるような仕方で、華麗で複雑なダンスの動きも、幾つかの基本的な原則に支えられていると言えるだろう。そして、公理は任意のもので良い、というわけだ。日常の動きの体系も、任意の動きの体系の一つにすぎない。
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