ダンスワークショップ体験記


1.きっかけ

Workshopという単語は本来「工房」という意味だけど、米語としては研究会という意味がある。いわば、ダンスや演劇のワークショップというのは、実体験型の公開講座といった意味をもっている。

僕がはじめてダンスのワークショップに参加したのは、95年のこと。大学を卒業する前の春休みに、岩下徹さんのワークショップに参加したのが最初だった。学生演劇や舞台芸術に関わっていた知人に「素人が参加しても面白い」と薦められて参加したのだ。

岩下さんは舞踏のグループ「山海塾」のメンバーで、ソロの公演も行っている。そして、岩下さんのワークショップでは、身体を通じて自己を見つめ、身体を解放する方法を探る、というのがテーマになっている。岩下さんはソロでは完全な即興で踊る。参加者はその即興の基礎にある姿勢や、即興の方法が見いだされた過程を、いわば追体験するのだ。

具体的には、とてもゆっくりと歩くとか、とてもゆっくりと立つとか、体の力を抜いて、相手に体を揺さぶってもらって体の中をふるえがどのように伝わるのかを感じるとか、そんなことを繰り返す。そんななかで、体が自ずと動き出す感覚を見いだして行く。ダンスの根本にある動きの素みたいなものを見つける試みだった。

それからしばらくは、広い空間に身を置くと、踊りだしたくなる様な感覚があって、実際空港のロビーで体を軽く動かしてたら笑われたなんて事もあった。そんなわけで、98年の2月ごろダンス公演を見に行ったとき「初心者歓迎」と書いてある「セッションハウス」でのワークショップのチラシを見つけて、俄然ダンス欲に火がついてしまった。そして、この年の3月末から7月まで、ほぼ毎週、神楽坂でのワークショップに通うことになったのだった。

2.
(準備中)


3. 身体の分節化

99年の夏にはイスラエルのダンスカンパニー「ヴェルティゴ」のワークショップに3日間参加しました。 今回も、初心者でも参加できるというベーシッククラスに参加。セッションハウスでは、イギリスのカンパニーで踊っていた人に習ったこともあった。今回のヴェルティゴのワークショップでも、振り付けやダンスの考え方とかその人と同じものがあるな、と思ったら、ヴェルティゴ・カンパニーの人もイギリスに留学していたとか。ある種の系譜があるのだろう。

例えば、ダンスに入る前の準備段階のストレッチで、背骨を一本の棒とイメージして動くことや、背骨の骨がバラバラになっていて、粘液でつながっているイメージで動くという感じを見いだすことが要求される。また、腕の重みや頭の重みを感じることを要求される。だいたい、普段の生活で歩いたり、ものを取ったりするときには、体がどう動いているかなんて意識していない。ダンスを始める前に、体の動きのそれぞれに意識が集中できるような体勢を身につけないといけない。

結局、ダンスの基礎トレーニングというのは、身体をいかに分節するか(Articulation)という問題なのだと思った。関節と関節の分けられ方(分節)と、分けられているからこそ関わっているのだ(関節)ということ。それを明瞭に意識して、体をはっきり動かせる様にすること(Articulate:はっきりとした発音、言葉の明瞭さ)。

そして、身体の分節というとき、筋肉や筋がどうつながっていて、どの方向にどう動くのか、ということや、重心や重さがどう移動するか、という事を意識するという面が一方にあり、また、そういった分析された身体を統合するようなイメージ、力がどのように流れるのかを把握するイメージによって身体をとらえるという面もあると思う。
これは、言語が識別されるときに、音を区別する分節(音韻)と意味を区別する分節とが平行しているようなものかも知れない。

だいたい準備体操的なストレッチの中に、振り付けにつながっていく要素が組み込まれていて、簡単な振り付け作品を踊るときにその感覚を生かしなさい、という事だったのだけど、やっぱり流れのある振りをおぼえて踊るとなると、動きを辿るので必死になってしまって、動きのニュアンスなんて構っていられなくなってしまう。
たぶん、言葉をおぼえ始めた子供のような状況にいるということなのだろう。流暢さというのは、分節をしっかりと身体化した先にある。そしてきっとその先に、単なる流暢さでは収まらない次元を開かなければいけないのだろう。

ベーシッククラスは一日3時間で、前半はこんなストレッチと振り付けのレッスンだった。後半はコンタクト・インプロビゼーションのレッスンだった。

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