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興亡概史
先史時代
狩猟採集生活から農耕と牧畜がはじまったのは、前5000年ごろ。生活の安定により人口が増え、村落を形成していった。
自分達の村を守るため村落同士が連合し、前3500年ごろには小王国が生まれた。
小王国同士も争いを繰り返し、統合され上下エジプトに統一国家が誕生した。
初期王朝時代
前3100年ごろには、上エジプトが下エジプトを征服して統一国家が生まれた。
しかし、統一されたといっても絶えず戦いが繰り広げられていたと思われる。
古王国時代
中央政権が安定し、マスタバ墳墓からピラミッドに発展した。特に第4王朝のギザの三大ピラミッドは有名。
第6王朝の頃になると神官や貴族の勢力が強大になってくる。
第1中間期
統一政権が瓦解してしまう。第8王朝は、メンフィスとその周辺のみにしか勢力を及ぼしていなかった。
やがて、中エジプトの第9・10王朝のヘラクレオポリス侯と上エジプトの第11王朝のテーベ侯が対立するようになる。
中王国時代
第11王朝のテーベ侯が対立に終止符を打ち、エジプトを再統一した。ピラミッドも作られたが、日乾しレンガ製であった。
第12王朝の末の頃から分裂し始める。
第2中間期
国内の分裂に乗じてアジアの混成民族ヒクソスが侵入し、第15王朝と第16王朝を下エジプトに樹立した。初めての異民族支配を受ける。
エジプト人も上エジプトに第17王朝を立てた。初めはヒクソスと協調していたが、やがて対立するようになる。
新王国
ヒクソスを追放して第18王朝を樹立し、最も華麗な時代がはじまる。この時代はピラミッドではなく、王家の谷に葬られるようになる。
トトメス3世が古代エジプトの最大領域を実現したり、宗教改革がおこったり、ツタンカーメンが歴史から抹殺されたりした。
第20王朝の後半では、シリア方面を失いデルタ地帯には海の民の侵入、西方からはリビア人の侵入が相次いだ。
さらに、テーペではアメン神官団が独立状態になり事実上分裂した。
第3中間期
テーベの神官団とタニスの第21王朝とで分裂し、さらにリビア人が王朝を立てた。
そのうちタニスを含むデルタ地方は、さらに王を名乗る者が各地に登場する。
一方、テーベはヌビア人に屈服した。
末期王朝時代
ヌビアの王朝が一時はデルタ地方も征圧するが、アジアからの新興勢力アッシリアと対決することになる。
結局、そのアッシリアに承認を受けた王が、支配することになった。
前525年、ペルシアの侵攻を受け、あっけなく占領され一属州と化す。ペルシア王はファラオを名乗るがエジプトに滞在はしなかった。
その後、サイスで反乱をおこし、ペルシアの支配を脱し、最後のエジプト人王朝が登場する。
第2次ペルシア支配とマケドニア
前343年、再びペルシアに支配を受けるが、11年後にはマケドニアのアレクサンダー大王によって征服される。
ファラオを名乗るが、死後、後継者争いが激化。
プトレマイオス朝
アレクサンダー大王の将軍の一人、プトレマイオスがエジプトで独立、繁栄する。
やがて、ローマの触手が伸び、前30年のクレオパトラの死によって古代エジプトの幕を閉じる。
以後、ローマの一属州となってしまう。
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