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ユリウス=クラウディウス朝

 

オクタヴィアヌス

工事中

ティベリウス

前42年にローマで生まれた。父は同名のティベリウス。母は後にオクタヴィアヌスの妻になるリウィア・ドルシラ。父は内乱でオクタヴィアヌスと戦い敗れてギリシアに逃れ妻を離縁した。これによってオクタヴィアヌスとリウィアは結婚することができた。ティベリウスは軍事的才能があったものの継子であったせいか後継者になることはなかったが、次々と後継者候補が死亡し最後の最後にチャンスが巡ってきた。母リウィアの支持の元、14年にオクタヴィアヌスの死で皇帝につくと対抗勢力を一掃し、オクタヴィアヌスの政策を受け継いだ。しかし、息子のドルススが不意に死亡すると政治を完全に放棄し、27年にはナポリ湾に浮かぶカプリ島に隠棲してしまう。その間、ローマは親衛隊長セヤヌスの意のままになってしまった。セヤヌスは次々と政敵を排除していったが、大胆にも皇帝ティベリウスを殺害しようとしたとき、ティベリウスは反撃し31年に家族もろとも処刑した。この事件のとき、息子ドルススの死の真相が明かされた。実はこのセヤヌスとドルススの妻の陰謀であることが発覚したのである。セヤヌスの友人や支持者はすべて処刑された。その後も恐怖と猜疑心からかちょっとしたことで処刑される人が後をたたなかった。血なまぐさい事件の連続でローマ市民からは当然人気がなく、後世でも評価されない皇帝であった。37年77歳で息を引き取ったとき、ローマ市民は喜び、犯罪者のようにテヴェレ川に投げ込めとまで言うものもでたほどだが、次の皇帝カリグラによって荼毘に付され遺灰はアウグストゥス廟に安置された。

カリグラ

12年ローマの南約40kmのアンティウム(現アンティオ)で生まれた。本名はガイウスである。父はティベリウスの甥のゲルマニクス。ゲルマニクスは信望のある英雄であり、オクタヴィアヌスの次の皇帝候補1だったが、19年に死んでいる。シリア総督のピソに毒殺の疑いがもたれ、ピソは自殺したが、ティベリウスが裏で糸を引いていた可能性がある。またカリグラの母や兄2人もティベリウス殺害を企てたとして死に追いやられた。そんな中でもカリグラはティベリウスと良好な関係を築いたが、彼の心は激しい葛藤の渦の中にあったと思われる。そんな中で37年に皇帝になることができた。ローマ市民には歓喜の渦で迎えられたが、長年培ってきた黒い渦がすぐに表に現れた。派手な遊びで散財し赤字に転落させた挙句、市民の財産を強制的に没収し、元老院とも対立した。さらには妹たちに陰謀をしかけられそうになり、事前に発覚したもののポンティア島に幽閉せざるを得なかった。対外的にもなんの成果もあげることが出来ず、41年芝居の見物途中、元老院の息のかかった親衛隊によってメッタ刺しにされ暗殺された。妻や娘も殺害された。

クラウディウス

前10年にリヨンで生まれたクラウディウスは、カリグラの叔父である。父はオクタヴィアヌスの妻リウィアの連れ子ドルスス。母はオクタヴィアヌスと戦ったマルクス・アントニウスの娘アントニアである。クラウディウスは小さい頃から病気で、話すときによだれとドモリがひどく動作もぎこちなかった。このため母からも嫌われていたが、41年50歳のときに親衛隊に祭り上げられ皇帝になった。カリグラの暗殺を経験したクラウディウスは、暗殺に対して神経をつかったが、42年のスクリボニアヌスの反乱に元老院議員の多くが加担していたことが明らかになったり、また、3人目の妻メッサリナが不倫を重ね、愛人の一人と結婚するという一種のクーデターを起こした。ローマはどちらにつくかでゆれたが結局クラウディウスが勝ち、メッサリナを処刑することで落ち着いた。対外的にはブリタニア・トラキア・リュキア・マウレタニア・ノリクムと領土を拡張して成功した。建設の面でもクラウディウス水道やオスティア港などを残した。4人目の妻には、カリグラの妹でポンティア島に幽閉されていたアグリッピナと結婚した。彼女は自分の連れ子ネロを帝位につけるためにはどんなことでもした。54年クラウディウスの好物のキノコに毒をふりかけさせ、さらに、食べたクラウディウスが吐くときに使う羽根の上にも毒を盛り二段構えで毒殺を成功させたのである。

ネロ

工事中

内乱

ガルバ

前3年ローマの南のタラキナ近郊で生まれた。ネロの晩年にはスペインの主要部を占めるタラコネンシスの属州総督であった。68年3月ガリアの属州総督ウィンデクスが反乱を起こすとガルバは高齢にもかかわらず、すぐさま呼応して4月にはウィンデクスの支持のもと皇帝を宣言した。他の属州総督達は、ネロに早々に見切りをつけガルバについた。6月には親衛隊にも裏切られたネロが自殺し、ガルバは元老院から正式に皇帝として承認された。10月にはローマに到着するが、ガルバは極端な倹約家で軍隊に対する報奨を渋った。これに対しガルバの周囲の人間は強欲な者が多かったので、69年1月にはゲルマニア軍がその司令官ウィテリウスを皇帝として宣言した。さらに親衛隊もルシタニア属州総督でガルバの支持者であったオトを擁立し、オトもこれに乗って皇帝を宣言し、ガルバとその後継者ピソを殺害した。

オト

32年フェレンティウムで生まれた。祖父は一族で最初の元老院議員、父も最初のコンスルになりオトはネロと親友だった。しかし、美女ポッパエア・サビナをめぐって不和となった。ルシタニア属州総督となって10年後、ガルバのクーデターを真っ先に支持し、その後に親衛隊の支持の元ガルバを殺害して帝位についた。しかし、ライン方面のゲルマニア軍はウィテリウスをすでに擁立していたので戦いは避けられなかった。それでもオトは戦いを避けようと努力した。ウィテリウスとの共同統治を申し入れたり、ウィテリウスの娘との結婚を申し込んだが受け入れられずクレモナの戦いで破れると早々に自分の胸を突いて自殺した。

ウィテリウス

12年か15年にコンスルの息子として生まれた。場所は不明。ティベリウスがカプリ島に隠棲したとき、ウィテリウスも取り巻きの少年の一人であった。さらに、カリグラ、クラウディウス、ネロと歴代の皇帝に仕え高位を得た。皇帝になった経緯は、ゲルマニア軍がウィンデクスの反乱を鎮圧したときガルバ帝は、何の報奨も与えずに不満に思っていたところにたまたま、司令官として赴任してきたので擁立されたというだけのことである。ゲルマニア軍はガルバに対し攻撃を加えようとするが、そのときにはガルバは倒れオトに変わっていた。それでも戦いを止めることはなくクレモナでウィテリウスの軍団が勝利を収めオトを自殺に追い込んだ。しかし、ウィテリウスに実権はなく、風紀は乱れていたのでローマ市民は反感を覚えた。69年7月頃には東部属州の軍団がウェスパシアヌスを擁立し再びクレモナで戦われウィテリウスは敗れた。退位して難を逃れようとしたが許されず、兄弟にも反乱を起こされた。兄弟は処刑したものの、ローマに侵入したウェスパシアヌス軍から身を守るため門番小屋に身を潜めていたが発見され引きずり出されて処刑され、テヴェレ川に投げ込まれた。ようやく内乱が終結したのであった。

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