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ファーティマ朝の歴史

興亡概史

 ファーティマ朝は、909年、ウバイドッラーがシリアからチュニジアにきてそれまでのアグラブ朝(800〜909)に代わり建てた王朝であり、イスラム教シーア派の一派、イスマイール派を信奉する国家である。建国にあたり地下工作は入念に行われシチリア・マルタ島などのアグラブ朝の領土を受け継ぐことになった。ウバイドッラーはマフディー(救世主)を称し、西方へと拡大する政策をとった。

 920年にはイドリース朝(789〜926)を破り、都のフェズを占領した。また、地中海も荒らしまわるが、後ウマイヤ朝(756〜1031)に名君アブド・アッラフマーン3世が現れると彼に頭を抑えられ勢力が均衡することになった。

 西方での領土拡大が頭打ちになると東に目を向け、アル・ムイッズの時の969年、イフシード朝(935〜969)を破りエジプトを征服し、フスタートの北北東にアル・カーヒラ(両方とも現カイロ)を築いてそこに都を移した。972年には現在も残る壮麗なアズハルモスクが完成し、ファーティマ朝はエジプトの王朝になった。

 次のアル・アジーズの頃の10世紀後半が、この王朝の全盛期で西は大西洋岸に達し、南はアラビア半島の南岸、北はシリアの北境、東はメソポタミアの一部を領有した。

 アル・ムスタンシルの頃の11世紀半ば頃からエジプト以外の領土を失い始め、アレッポ,トリポリ,ダマスクス、エルサレムなどをセルジューク朝(1038〜1194)に渡してしまった。1090年にはマルタ、1091年にはシチリアをもノルマン公によって失った。そんな中でも、エジプトは繁栄を続け、最も裕福な国家の一つであった。

 1098年にエルサレムを取り戻していたが、1099年7月15日、今度は十字軍によって奪われてしまう。その後もキリスト教徒やセルジューク朝と戦いつづけるが、1168年、エルサレムのアルマリック1世にカイロのそばまで侵攻されてしまい、宰相のシャワールはフスタートを焼き払ってその場をしのいだ。以後、フスタートは一時復興するが、結局は廃墟と化して現在に残る。

 1169年にはザンギー朝の支援を受け、シリア軍を率いて「シリアのライオン」の異名をとるシールクーが宰相に就任し巻き返しをはかるが、そのシールクーは2ヶ月後の3月23日には急死してしまう。死因は食べ過ぎであった。後任には彼の甥サラーフ・アッディーンがたてられた。サラディンとしての名前の方が有名である。

 彼はたちまちのうちに自分の地位を確固たるものにし、身近な敵を排斥し軍隊を掌握、たぐいまれな統率力と政治力を発揮した。

 1171年にスルタン、アル・アーディドが死亡すると彼が全てを受け継ぎ、ファーティマ朝は終焉を迎え、アイユーブ朝となった。

 

スルタン人物史 工事中

アル・マフディー
 (ウバイドッラー)

 

アル・カーイム

 

アル・マンスール

 

アル・ムイッズ

 

アル・アジーズ

 

アル・ハーキム

 

アッ・ザーヒル

 

アル・ムスタンシル

 

アル・ムスタアリー、アル・アミール、アル・ハーフィズ、アッ・ザーフィル、アル・ファーイズ、アル・アーディド

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