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トトメス3世とハトシェプスト女王
トトメス3世は幼少でファラオの座についた。父はトトメス2世。母は、その側室のイシスである。父トトメス2世の第1王妃は、トトメス2世の異母妹でもあるハトシェプストであった。彼女には息子が出来ず、また、トトメス2世自身も病弱であったため、はやくから後継者としてトトメス3世を指名していたようである。この後継者指名は、ハトシェプストに対する牽制でもあった。彼女が野心家であることを父王は見抜いていたのである。
トトメス3世即位当時は、後見役で満足していた義母ハトシェプストも、治世2年目には王権を簒奪しみずからファラオを名乗った。トトメス3世は、名目上は共同統治であったが歴史の片隅に追いやられてしまうのである。
ハトシェプストの時代は、対外遠征ではなく交易が盛んに行われた。紅海沿岸の都市プントやシナイ半島での記録が残されている。それにもまして女王の関心事は、他のファラオと同じく、死後の世界であった。デール・アル・バハリにある彼女の葬祭殿は、異彩を放つほどの壮麗さである。また、その葬祭殿の裏にある王家の谷に葬られる事を望んだ彼女は、トトメス2世の王妃時代に造られた墓を放棄して王家の谷に改めて造営した。さらにその入り口から、葬祭殿の玄室までつなげようと計画した。しかし、硬い岩盤にあたってしまいその計画は断念され、王家の谷の方に玄室を造った。
紀元前1483年頃に女王は没した。彼女は王家の谷に葬られた。彼女の補佐をした宰相センエンムトもすでにこの世にはいなかった。とうとうトトメス3世の時代がやってきたのである。トトメス3世がまずはじめに行った事は、ハトシェプスト女王の肖像や名前・記念物を破壊することであった。幼少の時期に王権を奪われたことで女王を憎んでいたことは確実である。憎しみはこれで消えるはずもなく、ファラオにとって大事な王名表からもハトシェプストの名前を削除させた。
トトメス3世の単独統治2年目には、ハトシェプストの交易主義を撤回し対外戦争に乗り出した。主に西アジアに進出し、莫大な戦利品と広大な領土を獲得した。こうして古代エジプトの領土は最大となり、後のさらなる繁栄の基礎をつくったのである。
紀元前1450年頃、トトメス3世は没した。王家の谷に葬られ、当然のごとく盗掘にあってしまった。発見当初、墓にはほとんど何も無かったが、ミイラは他のところから発見されて現代に伝わっている。
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