====World History=====================================================

                謎 の 世 界 史 人 物 伝

                                            ---No.3---
======================================================================


●◎○ デヴィッド・リヴィングストン(1813〜73) ○◎●


////概要データ////

 イギリスの宣教師、アフリカ探検家。 
 南アフリカに医療宣教師として赴任したリヴイングストンは、民族的対立を恐れ
てカラハリ砂漠を北へ越えた。その旅で、ヌガミ湖を発見し一躍有名になり、さら
にアフリカ大陸横断を完成させた。
 その後、ナイルの水源探しに出発するが、アフリカ奥地で行方不明になってしま
う。果たして彼は、ナイルの水源を突き止める事が出来たのでしょうか。


////キーワード////

プトレマイオス 生没年不明、2世紀のギリシアの天文学・数学・地理学者。ナイ
 ルの水源を、アフリカ中央部「月の山」周囲のいくつかの湖とし、青ナイルの水
 源についても正確な記述を残した。

ナイル 青ナイルと白ナイルに分かれる世界最長の大河。最も南の水源は、ブルン
 ジ共和国のルヴィロンザ川。

月の山 伝説の雪を戴く山。ルーウェンゾリ山。

ジェームス・ブルース 1730〜94 スコットランドの貴族。青ナイルの水源
 であるタナ湖と、そこにそそぎ込む川の源流を突き止めた。

ジョン・ハニング・スピーク 1827〜64 バートンと共にタンガニーカ湖を
 発見。のち別れて、ヴィクトリア湖を発見。ここを水源としたが、バートンの見
 解と対立し、討論会で決着を付けようとするが、その前日に銃の暴発で死亡した。

リチャード・バートン 1821〜90 イギリス軍人、変装してメッカを訪問し
 たりしている。スピークとの探検で名をはせたが、粗暴な性格がわざわいして晩
 年は世間から忘れ去られた。

ボーア人 南アフリカへのオランダ系移民の子孫。

ヘンリー・モートン・スタンリー 1841〜1904 イギリスのウェールズに
 生まれ、アメリカに渡り市民権を得た。南北戦争従軍後、新聞記者となりリヴィ
 ングストンの捜索で有名になる。探検が純粋なものでなく植民地支配のためのも
 のであることをしめす、コンゴ自由国や英領東アフリカの建国に貢献した。


////周囲の状況////

 古代の昔から、ナイルの水源については、人々の最大の関心事の一つだった。な
かでも、プトレマイオスの記述には興味を引かれたが、ナイル川をさかのぼること
は難しかった。急流や湿原に阻まれていたからである。
 青ナイルの水源は、18世紀に、ジェームス・ブルースによって突き止められた
が、白ナイルの水源は、困難を極めた。
 19世紀なかば、スピークによってヴィクトリア湖がナイルの源流とされたが、
まだまだ不完全であった。湖にそそぎ込む川の調査や他の湖の発見などで、バート
ンとの間に論争が起こり、本当の源流は定まっていなかったのである。


////人物ロマン////

 リヴィングストンは、スコットランドのプラタイアの貧しい家に生まれた。10
才の頃から紡績工場で、朝6時から夜8時まで働いていた。そんな中でも勉学に励
み、宣教師の資格を取り、グラスゴー大学で医学の学位も取得した。ロンドン伝導
協会に所属し、アフリカの地で布教しようとして、1941年、27才で南アフリ
カのクルマンに移り住んだ。ここで、先に布教していた、ロバート・モファットと
知り合い、その娘メアリーと結婚する。

 イギリス人とボーア人の対立の激化で、平穏に暮らせなくなってきたリヴィング
ストンは、家族を連れてアフリカ内陸部に向かい、そこでの布教を志す。カラハリ
砂漠を牛車で縦断したリヴィングストンは、1849年8月1日ヌガミ湖を発見す
る。このことから一躍有名になり、リヴィングストン自身も天体観測技術を学び、
探検家としても活動するようになる。

 1851年、再び家族とともに北上し、ヌガミ湖北方のマコロロ王国を訪問する。
さらに、マコロロ王国のセビチュアヌ国王の協力もあってザンベジ川まで到達する
ものの、長旅は彼の三人の子供の内、一人の命を奪い、さらに一人は熱病に冒され
てしまう。リヴィングストンは、家族と一緒の探検は無理と判断し、家族をイギリ
スへと送り返した。
 しかし探検意欲は衰えず、再びザンベジ川から西へ向かい、1854年5月31
日、西海岸のアンゴラの首都ルアンダに到着。3か月の静養後、来た道を戻った。
さらに今度は東を目指し、ザンベジ川を下る。そして、1855年11月17日、
現地名モシオ・アチェンヤを発見。ヴィクトリア滝と名付けた。さらに下流へ向か
い、1856年3月、モザンビークのケリマネに到着し、ヨーロッパ人初のアフリ
カ大陸横断を完成させた。

 イギリスに戻ったリヴィングストンは、すっかり英雄になっていたが、それで満
足する事なく、異教の教化のために1858年3月、ケリマネ駐在大使となって再
びアフリカにおもむき、チルワ湖、ニアサ湖、シレ川、ルブマ川と探検し、186
3年に帰国した。

 そして、いよいよナイルの水源探検に挑む。バートンとスピークの論争は、二人
の討論会の前にスピークが事故死をしてしまうことにより決着がつかず、リヴィン
グストンは、二人の考えが両方とも間違っていると考えるようになっていた。そこ
で、自ら探し当てようと心に決めた。
 1866年1月、三度アフリカの地を踏んだリヴィングストンは、ルアラバ川が
ナイルとつながっていると当たりをつけ、詳しい調査を開始した。しかし、長い探
検生活からか体調を崩し、タンガニーカ湖のそばのウジジという村で静養を余儀な
くされた。
 その間、ヨーロッパではリヴィングストンは死んだという噂が流れていた。すで
に3年以上も連絡が途絶えている。英雄をこのままにはしておけないということで、
大捜索が開始された。その中でも「ニューヨークヘラルド」紙は、熱心に押し進め
特派員スタンリーが、1871年11月10日、ウジジで劇的な出会いを果たした。
どうやら連絡が途絶えたのは、当時、アラブ商人が活発に活動していたのだが、
リヴィングストンは奴隷貿易反対の立場を一貫して取っていたため、彼らに嫌われ
連絡を取ってくれなかったというのが主な原因であるらしい。

 リヴィングストンとスタンリーは、馬が合ったのかしばらく一緒に探検している。
健康上の理由から帰国をすすめるスタンリーであったが、リヴィングストンは聞き
入れなかった。ナイル川がルアラバ川を介してコンゴ川につながっているという考
えが正しいことをどうしても証明したかったのだろうか。スタンリーと別れ、再び
探検を続けるが、とうとう体力を使い果たし、1873年5月1日、チタンポとい
う村で静かに息を引き取った。彼の日記の最後には、力無く「疲れた。」と記され
ていた。


////その後////

 召使いがリヴィングストンの死を発見したとき、彼はベッドの脇にひざまずき、
うずくまるように死んでいた。不思議な死に方であった。遺体は、塩とアルコール
につけられイギリスに帰国した。遺体は、彼がかつて、ライオンにかまれた左腕の
付け根の傷によって確認された。1874年4月国葬されウエストミンスター寺院
に埋葬された。

 ナイルの水源である伝説の月の山、ルーウェンゾリ山はスタンリーによって確認
された。その後もたくさんの探検家の探検は続き、結局、リヴィングストンの考え
は間違っていた。しかし、彼の探検が純粋に好奇心であり、布教のためであり、ま
た、奴隷貿易に対する彼の人道的姿勢からも彼が偉大な探検家であることに間違い
はない。


<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<< Web >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

● グラフィカル知的エンタテイメントマルチサイト
                    ・・・を目指す
  『カエルの合唱』 掲示板をレスの付けれる物に変更しました。
           これで、返事か書きやすくなった。

http://www.m-n-j.com/medianetjapan/frog/

   ▼週刊「看護婦YUKOさんとカエルの二人言」
                       (まぐまぐID0000046826)

      育児・医療・子供等の話題をライトに話しています。
      あなたのホームページやメルマガを紹介します。他分野OK。
      購読しなくても紹介しますのでどしどし投稿して下さい。

http://www.m-n-j.com/medianetjapan/frog/children.htm
http://www.m-n-j.com/medianetjapan/frog/accessup.htm

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
● このメールマガジンは、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』を利用して
発行しています。
http://www.mag2.com/ (マガジンID 0000042130)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
● メールマガジンの登録と削除。
http://www.m-n-j.com/medianetjapan/frog/whistory.htm

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
次号予告 伍子胥(ごししょ)
著者一言 妻もアフリカで死亡してる。
     感想お待ちしております。
                                               カエル