====World History=====================================================
謎 の 世 界 史 人 物 伝
---No.4---
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●◎○ 伍子胥(ごししょ) 生没年不明 ○◎●
////概要データ////
中国、前5世紀頃、春秋時代末期の呉の宰相。名を員(うん)といった。
はじめ、楚の名家の出であったが、陰謀により父と兄を殺され楚を追われ、
隣国呉に行き着く。呉の太子に取り入り、王位につけ宰相になる。軍師、孫武
を起用、富国強兵につとめる。そして、いよいよ楚に復讐を果たすときがきた。
群雄割拠する中、果たして彼は、父と兄の仇を取る事ができたのでしょうか。
////周囲の状況////
周王朝の東遷以後は、春秋時代と呼ばれ群雄が割拠し、互いに戦争を繰り返
していた。中でも晋と楚は、春秋時代後半の有力国家であった。晋は、楚に対
抗するため長江下流の国家、呉を支援し楚に対抗させようと目論んでいた。
////人物ロマン////
伍子胥(ごししょ)は、楚の名門の家柄で平王の時に仕えた伍奢(ごしゃ)
の息子である。
伍奢は、潔癖な人柄で何事も隠さず直言するため、平王に疎まれていた。そ
して、ついに牢に入れられてしまった。平王は、伍奢に二人の息子を呼び出さ
なければ殺すと命じた。この頃、すでに伍子胥は天下に名を轟かせていた。そ
の伍子胥を生かしておいては、平王自信の身が危ないと思っての事であった。
伍子胥の兄、伍尚(ごしょう)は命令に従おうとするが、伍子胥は殺すつも
りであることを見破り、国外脱出をすすめる。結局、兄は命令に従い父共々殺
されてしまった。伍子胥は、復讐を誓い国外に脱出した。
宋、鄭、陳と渡り歩き、命の危険にさらされながらも呉の国に流れ着いた。
呉の姫光王子は、従弟の王位継承に不満を持っていた事もあって伍子胥の復讐
に力を貸すことを約束した。一方、伍子胥も姫光王子を呉の国王につけるよう
協力することを約束する。そして、従弟の治世13年目にクーデターで殺害。
姫光王子は王位につき、闔廬(こうりょ)と名乗った。
宰相となった伍子胥は、ついに平王に復讐するための軍隊を手に入れた。し
かし彼は焦らなかった。かえって楚に攻め込もうとする闔廬を諫めて、時間を
かけて国力の充実を図り、将軍に兵法家、孫武を起用。軍隊の強化に努めた。
孫武には、有名な逸話がある。ある時彼は、宮廷の女達を強兵に仕立て上げ
る事になった。指揮者は、闔廬の愛姫であった。しかし、演習開始の号令をか
けても彼女たちは笑うばかりで動かない。2度目も同じであった。この時孫武
は、軍律に従って指揮者の責任とし、王の愛姫を斬り捨ててしまった。以後、
彼女達は真剣に演習に取り組んだという。そうこうするうちに、呉の軍隊は強
力になっていった。
いよいよ楚に攻め込む時がきた。呉に亡命してから16年。あれほど戦争に
慎重であった伍子胥だが、いざ攻め込むとなると徹底的に攻めまくり、あっと
言う間に楚の都、郢(えい)を占領した。「日暮れて途遠し」ということわざ
は、ここのエピソードが出典である。
この時、楚の平王はすでにこの世に亡かったが、伍子胥は彼の墓をあばき、
その死骸に300回も鞭を打ったという。
この後、楚は、都を北へ移し、呉は強勢になるものの南の越王、勾践とたび
たび争い、その中で呉王、闔廬は死に子の夫差が立った。夫差は、この恨みを
忘れないため、薪の上に寝る試練をかした。数年後、闔廬の仇を会稽山で討っ
た。しかし、投降してきた勾践を伍子胥が殺すよう諫めるのにもかかわらず、
夫差は生かしてしまう。これ以後、勾践は、苦い肝を毎日なめて会稽山の屈辱
を忘れないようにした。「臥薪嘗胆」は、ここが出典である。
勾践は、夫差を油断させるため、糞をなめる健康診断をしたり、美女、西施
を送ったりした。
夫差は、何度も勾践を殺すように諭す伍子胥が次第に疎ましくなり、とうと
う死を賜ってしまう。死に際し、伍子胥は遺言で、自分の目玉を都の門にかか
げるように言った。勾践の入都をこの目で確かめるというのであった。
////その後////
伍子胥の予言通り、数年後、越の勾践に都は蹂躙され、夫差は自殺を余儀な
くされ、呉は滅びた。伍子胥を殺害したことを後悔しても後の祭りであった。
これ以後、越は強大になるものの、戦国時代に突入し、ますます世相が混沌
とする中、結局、前334年、楚に滅ぼされてしまい、中国の統一は前221
年の秦、始皇帝まで待たなければならないのである。
////キーワード////
春秋時代 前770〜前403 周の東遷から晋の分裂まで。群雄割拠の時代。
主な国は、斉、晋、楚、呉、越、晋、宋、魯、秦など。
平王 春秋時代、楚の王。最盛期の荘王から数十年たち、やや国力が衰えはじ
め奸臣を近づけ、忠臣を遠ざけるなど失政が続いた。伍親子を殺害し、伍子
胥の影におびえ続けた。
伍奢(ごしゃ) 平王に仕えたが、直言がたたって息子、伍尚と共に平王に殺
害される。
闔廬(こうりょ) 在位前514〜前496 呉の王、クーデターにより僚王
より王位を簒奪。楚を破り、春秋の五覇に数えられる。たびたび越の勾践と
争う。伍子胥、孫武などを起用、名君とされる。
孫武 生没年不明 斉の出身。呉の将軍となり、「孫子の兵法」13篇を残す。
実在が疑われたこともあったが、現在では孫武の著作とされる。
日暮れて途遠し 目的が達せられず、年をとってしまったので、まごまごして
はいられない。と、言うような故事。
夫差 在位前496〜前473 父闔廬の後を継いで呉王となる。父の仇を取
り勾践を捕らえる。が、生かしておいたため、後に復讐され自殺に追い込ま
れた。
勾践 在位前496〜前465 越王。呉とたびたび戦い、闔廬を敗死させる
ものの夫差に破れ、臣下となる苦渋の時代を過ごした。その後、夫差を破り
呉を滅亡させ、春秋の最後の覇者となった。
臥薪嘗胆 目的のために、そのことを常に思い出すようにし、何としても目的
を達成すること。と、言うような故事。
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次号予告 ラムセス2世
あとがき 今回から、著者一言をあとがきにして、長くしてみました。それで
なくても長い文章なので、著者の言葉なんていらないと思っていたの
ですが、小説などでもあとがきから読む事もあると思い直し、自分自
身の感想を載せさせていただきます。
構成も少し変更して、キーワードを後にしました。注釈のような物
なので、後の方がいいし、読まなくても差し支え無いと判断しました。
今回の伍子胥に著者がはじめて知り得たのは、「小説孫子の兵法」
を父からすすめられてからです。とってもおもしろいので、皆さんも
機会があったら読んで見て下さい。
鄭 飛石(チョン ビソク)著 光文社文庫刊 上下2冊
感想・意見・要望等お待ちしております。
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