====World History=====================================================
謎 の 世 界 史 人 物 伝
---No.5---
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●◎○ ラムセス2世 生没年不明 ○◎●
////概要データ////
別称ラメセス、ラメス等。古代エジプト第19王朝第3代のファラオ(王)。
ラムセス2世は、ツタンカーメンと並ぶほど有名なファラオである。アブ・シン
ベル神殿に代表される建築物を、多数建設した建築王でもあったが、妻や子供を多
数もうけたのも、ラムセス2世は群を抜いている。
治世前半は、対外戦争に明け暮れているが、いつからか、対外戦争よりも治世を
安定させるようになり、エジプトに平和が訪れていた。いったい、何があったので
しょうか。
////周囲の状況////
第18王朝で、領土が最大になったエジプトも次第に衰退し、北方の強国ヒッタ
イトとたびたび戦っていた。一方、北メソポタミアのアッシリアが力を付け、領土
拡大を目指して動き始めていた。
////人物ロマン////
父は前ファラオ、セティ1世。母、トゥヤとの間に生まれた。ラムセス2世は、
王子の時に父につれられ、シリア方面のカデシュでヒッタイトと戦っている。セティ
1世は、息子を戦いに参加させることで、スムーズに息子に、政権を移行させる事
に成功した。この地、カデシュは、後に単独統治をするようになっても争奪の的と
なった。
それは、ラムセス2世の治世5年目のことであった。ヒッタイトと再び戦火を交
えたのである。反乱を機に2万に及ぶ大軍を動員。ヒッタイトの都市、カデシュの
西に陣を敷いた。
一方、ヒッタイトの王、ムワタリは、4万にもなろうかという程の大軍を動員し
た。こうして、古代史上まれにみる大会戦が始まろうとしていた。
初め、ラムセス2世は、二人のスパイを捕らえ、ヒッタイト軍がカデシュの北、
まだ遠くに位置しているという情報を得た。西に陣を敷いた時点でラムセス2世に
は、勝利への自信があった。しかし、先遣隊が新たにスパイを捕らえると、初めの
スパイはおとりで、ヒッタイト軍は、すでにカデシュの東、すぐの所に存在する事
が判明。ラムセスはあわてた。
しかし、時すでに遅くヒッタイトの大軍が襲いかかってきた。ラムセス2世は、
孤立し命の危険にもさらされたが、別働隊がヒッタイト軍の側面を攻撃し、何とか
持ちこたえた。ヒッタイトのムワタリも深追いをすることなく退却した。
次の日、再集結を果たしたラムセス2世は、攻撃を仕掛けるが膠着状態に陥った。
ヒッタイト王ムワタリは和平を提案するが、ラムセス2世は、カデシュに固執し、
この提案を拒否した。この後、エジプト軍は退却するものの両国の不和は続き、何
度か遠征するものの成果は得られなかった。
ヒッタイトは、ムワタリの次のハットゥシリ3世の代になり、東方のアッシリア
の脅威に直面し、エジプトと争う無意味を考え、再び和平を提案してきた。
一方、ラムセス2世も周辺諸国の情勢からシリアを支配する事をあきらめるよう
になり、とうとう和平協定が結ばれた。この後、ハットゥシリ3世は、自分の娘を
ラムセス2世に嫁がせた。こうして、エジプトに平和な時代が訪れた。
このカデシュの戦いは、現代にも記録が残る。アブ・シンベル神殿やラムセス2
世葬祭殿に、ラムセス2世の武勇伝が華々しく刻まれているが実際には、良く言っ
て引き分けであった。和平協定も現代に残る。ヒッタイトにも同じ協定の文章が出
土したが、エジプト側とは、細部に違いがある。
旧約聖書に登場するモーセの「出エジプト」は、ラムセス2世の治世17年目頃
の出来事と考えられる。平和は訪れたものの、相次ぐ建設ラッシュで、ヘブライ人
達は、過酷な労働を強いられたのであろう。命からがら脱出したこの大事件も、し
かし、エジプトには何の記録も残らない。
////その後////
ラムセス2世は、92才で死亡した。王家の谷に葬られたが、墓は、破壊され現
在では入ることも出来ない。ミイラは盗掘者達から守るため、死から200年後ぐ
らいに父、セティ1世の墓に移され、さらに、父や他のファラオのミイラと共に秘
密の埋葬場所に移された。
この隠し場所は、1881年に発見され、40体もの王や王妃のミイラが見つかっ
た。こうして、ラムセス2世のミイラは、現代でも見ることができるのである。
また、彼の最も有名な建造物の一つ、アブ・シンベル大神殿も砂に埋もれていた
が、1800年代前半に発見された。
再び光を放ったこの神殿に、さらなる悲劇が襲い掛かる。1960年代、アスワ
ン・ハイ・ダムの建設により水没する事が決まったのである。
しかしこの神殿は、水没しなかった。ユネスコにより移築されて現代にも残った
のである。その工事は、2年半かかり、1万6000ものブロックに解体され移築
先で再び組み立てられたのである。
////キーワード////
ヒッタイト 前18世紀頃建国。鉄器を最初にオリエントに伝えたとされる。都は
ハットゥサ、現トルコ中央部のボガズキョイ。カデシュの戦い後、急速
に衰退し、前1190年頃滅亡した。
アッシリア 前20世紀頃、北メソポタミアに建国。前7世紀に、全オリエントを
統一した。しかし、前612年に新バビロニアにより滅ぼされた。
セティ1世 ラムセス2世の父。第19王朝第2代のファラオ。第18王朝の栄光
を盛り返すために努力した。セティ1世の王家の谷の墓は、最も壮麗な
ものである。
出エジプト 旧約聖書に登場する。ヘブライ人がモーセに率いられ、エジプトでの
奴隷生活から脱出し、約束の地へとたどり着くまでの物語。
アブ・シンベル神殿 エジプト最南部、ヌビアの地に立つ神殿。大神殿と小神殿が
あり、大神殿は、ラムセス2世自身の神殿。春分と秋分の日に4体のラ
ムセス2世像の中央から奥の至聖所に日の出の光が差し込み、壁面の神々
が浮かび上がる。小神殿は、第1王妃ネフェルトイリのために築いたも
ので、大神殿の北にある。
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次号予告 バートリ伯爵夫人
あとがき ラムセス2世の妻は、ネフェルトイリ、イシスネフェルトなどがいた
が、さらにネフェルトイリとラムセス2世の娘メリトアメン、イシスネ
フェルトとの娘ペントアナトがいた。自分の娘とも結婚してしまうのだ
から、現代人には理解しがたい。さらに、本文にも登場したハットゥシ
リ3世の娘、マアトホルネフェルウラーなどたくさんの外国の妻もいた。
これだけいれば、子供達もたくさんで、200人近くいたといわれて
いる。
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