====World History=====================================================
謎 の 世 界 史 人 物 伝
---No.13---
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●◎○ マリア・テレジア 1717〜80 ○◎●
////概要データ////
フランス革命の主役の一人、マリー・アントワネットの母としても知られるマリ
ア・テレジアは、広大な領土をヨーロッパにもつハプスブルクの家に生まれ、若く
してそれを相続した。
しかし、これを認めない者が現れると、宿敵フランスのブルボン家などが介入し
て戦争になった。特にプロイセン王フリードリヒ2世とは、シュレジエンという土
地をめぐって戦いを繰り返す。
果たして彼女はこの難局を、どうやって乗り切っていくのでしょうか?
////周囲の状況////
現在では小さな国になってしまったオーストリアも当時は、スペインやドイツを
も領有する巨大な国家であった。しかし、マリア・テレジアの父の代に宿敵フラン
スに敗れスペインを失った。
それでも現ドイツ領の神聖ローマ帝国は依然として、ハプスブルク家領であった
が、その北方ではプロイセンが領土拡張を目指して暗躍し、フランスやイギリス、
ロシアも密接にからんでくる。
////人物ロマン////
1717年マリア・テレジアは生まれた。父は神聖ローマ帝国皇帝カール6世。
母エリザベート・クリスティナ。前年に長男が夭折(ようせつ)していたことを払拭
するように、ウィーンは華やかな雰囲気に包まれ、各地から貴族達がかけつけた。
そんな貴族の中にロートリンゲン公フランツ・シュテファンもいた。大きくなる
に従い、彼女とフランツは恋に落ち1736年には結婚へといたる。
そんな幸せ気分も束の間、1740年に父カール6世は突然死んだ。すぐにもマ
リアが全ハプスブルク領を相続したことを宣言する。しかし、従妹の夫バイエルン
選帝公カール・アルバートはこれを認めずに相続権を主張した。ザクセン公やスペ
インも加わり、フランスが後押しする。
これに早速目をつけたのが、北方の雄プロイセン王フリードリヒ2世だった。マ
リアの相続を認める代わりに裕福な土地シュレジエンを要求してきたのだ。
当然、この難癖を拒否をすると今度はカール・アルバートについて戦争をしかけ
てきた。
こうしてオーストリア継承戦争ははじまった。
孤立したマリアは、負け続きでプラハも失いウィーンにまで迫られる。カール・
アルバートは皇帝カール7世として戴冠してしまい、いよいよ追い詰められた。
しかし、その戴冠が火をつけたのだろうか。その後、彼女の反撃がはじまる。ミュ
ンヘンの占領にはじまって、プラハを奪還、イギリスの支援を受けることにも成功
し、ほとんどの領土を回復した。
フリードリヒ2世も負けることなく一進一退を繰り返したが、カール7世が死ぬ
と彼は戦争の名目を失って苦境にたった。
次の神聖ローマ皇帝には、マリアの夫フランツが選ばれフランツ1世として即位。
3年後のアーヘン和約で占領地を相互に交換し、1748年戦争は終わった。し
かし、この和約でフランツ1世の即位は認められたもののシュレジエンが例外的に
プロイセンの領土となってしまう。マリアはシュレジエン奪還を決意した。
束の間の平和の中で、ロシアのと同盟を結び、宿敵フランスとも同盟する決意を
する。フランス王ルイ15世の愛人ポンパドゥール夫人に近づき同盟に成功。外交
革命とまで言われるようになる。
危機感を抱いたフリードリヒ2世は、イギリスに近づき1756年先制攻撃を仕
掛けてきた。七年戦争のはじまりである。しかし、この三国同盟を破ることができ
ずにベルリンにまで迫られ、フリードリヒは自殺をも考えるほどであった。
しかし、1762年ロシアがピョートル3世の即位によって同盟から離れると、
フランスも植民地でイギリスに敗れ脱落してしまう。
これ以上の戦争継続は無理と判断したマリアは、とうとうシュレジエンをあきら
め1763年に和約を結んだ。
失意の中で、2年後には夫フランツも亡くしてしまう。二人の間には16人もの
子供が出来、おしどり夫婦であったが、しかし、マリアには悲しんでいる時間はあ
まりなかった。早速、長子ヨーゼフを共同統治者にし、戦争で荒廃した町を回復す
ることに努め、賦役の軽減や産業の改革などで近代化に努めた。
1780年、マリアはヨーゼフに看取られて亡くなった。64才であった。最後
まで諸外国に嫁いだ娘達やヨーゼフの行く末を心配していたという。
////その後////
マリアは夫フランツと同じくウィーンのカプチーナ霊廟に葬られた。生前に二人
でつくった墓には、永遠の愛を誓った刻印と二人の像が立っている。今でも二人は
仲がいいに違いない。
一方、ヨーゼフは改革を断行するものの貴族の抵抗にあい、また対外的にも戦争
が続き、苦しみながら没してしまう。
いよいよ、フランス革命がおころうとしていた。
////キーワード////
フリードリヒ2世 1712〜86 プロイセン王(在位1740〜86)マリア・
テレジアと時を同じくして王になり、シュレジエンを巡って激しく対立した。辺
境の国プロイセンを強国に押し上げ、大王と呼ばれた。
カール6世 1685〜1740 神聖ローマ皇帝(在位1711〜40)ハプス
ブルクの領土を子供に一括相続させるため、国事詔書を出して領土不分割と男子
相続を定めたが、マリア・テレジアしか生まれないため、一転して娘の相続を正
当化する詔書を出してオーストリア継承戦争を招いた。
神聖ローマ帝国 962〜1806 オットー1世の戴冠からはじまったドイツの
国家。選挙によって皇帝が選ばれたので、選出権をもつ公国が力を持っていた。
フランツ1世 1708〜65 神聖ローマ皇帝(在位1745〜65)ロートリ
ンゲン公・トスカナ大公を経て、マリア・テレジアと結婚し、神聖ローマ皇帝と
なった。マリアの影にかくれがちだが、財務家として財政を豊かにし、マリアを
支えた。
ポンパドゥール夫人 1721〜64 フランス王ルイ15世の愛人。彼をトリコ
にして、政治をも左右した。浪費癖が強く、国庫支出が激しく後の革命への序曲
となった。
マリー・アントワネット 1755〜93 フランス王ルイ16世の妃。マリア・
テレジアの末娘。世間知らずのお嬢様で、奢侈にふける。そんなマリーを母マリ
アは注意するが、詐欺事件で無関係でありながら非難を浴びるなど、国民から慕
われることもなく、フランス革命の露と消えた。
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次号予告 アレクサンドロス大王
あとがき 一周年記念号。いかがだったでしょうか。気合を入れて書きましたの
で気に入っていただけたのなら幸いです。
ハプスブルク家にブルボン家。宿敵同士も状況によっては同盟を結ぶ
外交革命。神聖ローマ帝国。なにか、名前を聞いただけで魅力的に感じ
るのは不思議ですね。
次号もお楽しみに。