子福さま
(第五話)
昔、子福さまという稲荷社が、千住長円寺の境内にありました。 長円寺といえば、乳泉石でも有名なお寺で、千住宿の裏通りに面していました。 そのころは、この裏通りあたりまで家が建っていましたが、お寺の裏側となると、一面の田畑で、 ずっと小管のほうまで見渡すことができました。 現在は、その裏のほうに常磐線や東武線が通っていますが、これらは、 明治29年と32年に開通したもので、それ以前には何もありませんでした。 ですから、このあたりは、今では想像もつかないほど寂しい所でした。 ところで、子福さまについてですが、どうしてそうした名がついたのかはっきりしていません。 想像しますに、このお稲荷さまに祈願すると、子供達に幸福をもたらしてくれるということで、 その名がついたものと思います。 子福さまは、その名の示しているように霊験あらたかで、子供の病気は言うにおよばず、 大人の疲れから肩の凝り、腰から下の病気にいたるまでよく効き、祈願する者が後を断ちませんでした。 しかし、ここには、一つのならわしのようなものがありました。それは、祈願して効験があった場合には、 そのお礼として油揚げを奉納するようになっていたことです。 もしも、油揚げのお礼をしないで、知らんふりをしていると、罰があたって、 せっかく良くなったものが、再び元に戻るといわれていました。 さて、霊験あらたかなこの子福さまについて、次のような話が伝わっています。 当時の長円寺は、境内がうっそうとした樹木でおおわれ、特に裏山と呼ばれる本堂裏の 小高い所には竹薮もあって、昼なお暗く、お寺の人以外は入ることができませんでした。 じつは、この裏山の大きな木のうろに、数匹の狐が棲みついていました。 一般に知られているように、動物は、ふだん食物が足りるときは、自分の棲みかの周囲にいて、 他に危害を加えることはありませんが、大雪が降ったり、寒さが特に厳しかったりして、 食物に不自由するようになりますと、人家近くに出没して、人さまに迷惑をかけるようなことをするものです。 長円寺の裏山に棲む狐も、その例外ではありませんでした。 ある年のこと、例年にない厳しい寒さと、何度か降った雪のために、裏山付近の食べ物は 底をつき狐どもは難渋しました。 そこで、狐達は、めったに出たことのない町中(マチナカ) に出張り、人の目をかすめては、 置いてあるものを、そっと失敬していくようになりました。 それも一度や二度ならよいのですが、たび重なると、町の人は、 おお目に見るわけにはいかなくなりました。 こうした狐の中には、こともあろうに老人だけの家に忍び入り、寝ている布団の上に乗って、 油揚げを無心するふとどきなものまででてきました。 そして一度味をしめると、同じことを二度、三度と繰り返すようになりました。 最初のうちは、可哀そうにと見逃していましたが、このように度をこすと迷惑になり、 なにか手をうたなければならなくなりました。 そこで、あちこちの被害者が名主宅に集まって、いろいろ話し合いをしました。 しかし、狐に対するこれといったよい案は出てきませんでした。 万策つきた町の人は“暴れ回っていた蛇を水神に祀りこめたら、二度と悪さをしなくなった。 ”という近隣の村の故事にならつて、“町の子供を守ってくださいますように”と、“子福稲荷” として、長円寺の境内に祀ることにしました。 それ以後、狐の悪さはなくなり、かえって、この子福稲荷社が、子供だけではなく町全体の 危難を救ってくれるようになったということです。 |