片葉の葦(カタハノアシ)
(第四話)
| 足立は、“葦立つ地”から“葦立ち”に、ついで“足立”になったともいわれています。 この名の由来の示しますように、足立は、その昔葦がたくさん生い茂っていた湿地でした。 全国を行脚中の弘法大師は、関東の地に悪疫が流行していると聞き、 この足立の地へと足を向けてきました。 豊島郡から足立郡へ入ろうとした弘法大師が、荒川の岸辺に立ちますと、あたりは一面の葦原で、 特に川岸のあたりには、群れをなして生えていました。 その葦のあいまをぬった大師が渡しに乗り、いざ足立の地に足を踏み入れたと思った瞬間、 今まで風の吹くままにそよいでいた葦が、風がピタリとやんだかのようにそよぐのをやめ、 いっせいに大師の方を向いて靡き始めました。 つまり、葦の葉が弘法大師のご威光にひれ伏して、そのほうだけに靡きだしたのです。 そして、その姿がそのまま片葉の葦に形を変え、後々までも、その姿のまま残ったとのことです。 これが片葉の葦の発端ですが、当初は荒川の岸全面に生えていたものが、 年々変わりゆく環境の悪化によって、関屋天神のあった塚付近のみとなりました。 そこで、この記念すべき片葉の葦を末長く保存するために、仲町にある掃部宿の開祖石出掃部介の 子孫宅に移植しました。 が、これまた地味風土が合わないためか、今では絶滅して跡形もありません。残念なことです。 ・片葉の葦の話は、西新井大師の構え堀にもあり、やはり弘法大師との係わりがあります。 ・本所の七不思議の中にも、片葉の葦の話があります。これは、ならず者が町娘に横恋慕し、 自分に靡かなかったので娘を殺して、その片手片足を切り落としたのが発端です。 ・千葉県市川真間の手児奈霊堂の池畔にも、片葉の葦の話があります。これは、 手児奈という娘の美しさがもとになっています。 |