ウルトラセブン「第4惑星の悪夢」のエピローグ
at 2001 02/28 13:37 編集

「第4惑星の悪夢」のエピローグとは
私服のダンとソガが下駄を放り投げて
お天気占いして陽気に笑い合うというもので、
このハードな実相寺作品の締めくくりとして視聴者に大変好まれた物だ。
それは判るのだが、良く考えてみると気になる事も有る。

というのは
彼等は地球防衛軍の誇り有るウルトラ警備隊として活躍するレギュラーなのである。
この「第4惑星の悪夢」の主旨は
早よいえば文明批判であり軍備開発への不安と思う。
だからその主旨を単発の夢落ちにせよ表明するには
「司令室のコンピューター音の鳴り響く不安げなラスト」でもいいわけだ。
でもそれはレギュラーヒーロー側の基地内ではどだい無理。
だから「ダンとソガの下駄お天気占い」で締めくくるのだが、
この時の彼等の愉悦も決して「ローテクへの郷愁」とも思えないし、
「文明揶揄の愉悦」とも思えないのだ。

何故なら彼等はウルトラ警備隊であり
ハイテク装備で地球防衛する任務があるし、それに誇りをもっている。
もっと強く言えばダンとソガが旧世代ヒーローなら
第4惑星の遭遇もなんとも思わずに
自分達の文明や武器を信じて疑問も呵責も無かったであろう。
だからこそ誇り有るウルトラ警備隊であり地球防衛軍の一員なのだ。

この「第4惑星の悪夢」は
(近代未来への不安と信頼)が責めぎあう手腕いかんで評価の決まる課題であり
サスペンスな全編は差し引くと、やはり「終わり方」でほぼ決まると思う。
TV視聴者は「第4惑星の悪夢」によって刷り込まれた
文明批判と軍備開発への不安が
一見陽気な「ダンとソガの下駄お天気占い」により払拭され安堵するのだが
その実、レギュラー防衛軍関連はその例外か否かという是非も他の回で用意される。
(超兵器R1号)(零下140度の対決)など。

「ダンとソガの下駄お天気占い」が豊かな自然体への促しとしても、
ただ「反文明の促し」になってしまってはもともこもない気がする。
そのままでは近代装備で戦うウルトラ警備隊である彼等は
自分達のやり方に矛盾を生んでしまう訳だ。

ではあの「ダンとソガの下駄お天気占い」は駄目かというと、
おそらくあのときの彼等には真の文明の方向性が判ったうえでの
『(文明揶揄の愉悦)を演じてみせた偽悪として愉快』だったのである。
これなら問題ない。
で、それが視聴者の全てに伝わったのかどうか不明で
結局この「ダンとソガの下駄お天気占い」エピローグが
文明揶揄・自然郷愁でないという事実に
ウルトラセブンの他の回の連動で理解して再認識を新にして欲しい。

通俗なとこでは「ダン対セブンの対決」で
ロボット的な偽ウルトラセブンと本物ウルトラセブンの決着は
「第4惑星の悪夢」に連動する
【悪しき文明の成長】と【倫理有る正義】の是非であるが、
この「ダン対セブンの対決」のラストも
ただ倫理有る正義のセブンの勝利と思わないで欲しい。
偽ウルトラセブンと本物ウルトラセブンの闘いは
一旦両者とも海に埋没して姿を消してひとりだけ浮上する。
勝ち残ったのはどちらのウルトラセブンなのか?悪か正義か?

実は2人のウルトラセブンは海中に没後「融合して1人になった」のである!
そうゆう決着だったのである。
ゆうなればガイアとアグリの合体のV2ガイアの先駈けで
『新生ウルトラセブン』誕生の回なのである。
だから彼『新生ウルトラセブン』は登場後にサロメ星人側にも接近でき、
同時に最初の仕事がサロメ星人の乗った船の破壊である事で
「文明悪すら吸収した倫理」として新たなる誇りに精進したのである。
『新生ウルトラセブン』とは
軍備も文明もすべて未来繁栄の為に有る信念の境地を
「第4惑星の悪夢」の補完として体現してみせた輝かしい偉大性を持つ。
それのどこに偽りや罪が有ろうか?文明も機械も信じずに何の未来があろう。
未来に生きようとする前向きな人間なら
この『新生ウルトラセブン』の境地に少しでも近づく為に
大いなる模範として憶えておいて欲しい。

★またこの文明と軍備のジレンマは
「ウルトラマンティガ」ホリイ隊員の電磁波発言や
「うたかたの・・」でも触れているのでついでに。

ホリイ隊員の電磁波発言とは
電磁波怪獣の出現でガッツのメンバーが
近代文明の勇ましい進歩に疑問を持つタイミングの場で
ホリイ隊員が
「人類はこれから将来も電磁波を捨てて生活はできん」と豪語するのが
一見、暴論のようで物議を醸し出したが
実はホリイ隊員は正しいという話。

たとえ相手が電磁波怪獣でも、
未来機器で戦う誇り有るガッツ隊員は近代文明に疑問を持つ暇など無いし、
する必要も無いと思う。
疑問を持つくらいならガッツに居る訳が無いし、
そんな矛盾を抱え込んだ輩が地球防衛エキスパートとしてイナイのが普通だ。
ましてやハイテク・シンボライズに有るガッツ隊員には
そう思っても言動出来ない、避けるべき事柄であろう。
それでも困惑の感情が必要なエピソードなら、
一般人や部外者、新米隊員にやらせるべく、本来アウトサイド劇なのである。
ホリイ隊員の電磁波発言はレギュラー総員の場でのケースであるゆえ
やや豪気に言う必要も有ったのである。

ホリイ隊員は滅茶苦茶言ってるのではない。
早い話、電磁波怪獣の出現と存在は
世間や人類の「正しい電磁波の信頼」を取り戻す攻防になる訳だから
ガッツは文明への懐疑やってる場合でなく
一刻も早く電磁波怪獣を倒せばいいのである。当然である。これ判るよね?

★「うたかたの・・」という回では
軍備の逞しい魅力と戦闘の犠牲者への悼みが交錯する
闘いへの疑惑という80年代以降にアニメなどにも
色んな番組で試行錯誤した素材がコンパクトに結集したもので、
「毒を持って毒を制す」に対する見解のアンビバレントといっていいだろう。
戦争の局面は数限りないであろうが
勝つ為には犠牲になる優しさと痛みを越えて軍備は美しく輝く時も有る。
ただそれだけであろう。
この課題にジレンマ云々とこだわるのは
「毒の正体」を軽視しているか「勝利の目的」を知らないか、忘れているのであろう。
(もしくは悼み・痛みに対する癒しや救済を見失った苛立ちや
焦りの憤慨に直面したときの絶句の保留でジレンマと呼ぶのであろう)
それらを思い出せば矛盾ともいえない。
戦いにはとんでもない決意と勇気(純真と優しさ)の連続である。
しかし惰性や混迷で戦意が曖昧で麻痺になろうとするとき
リセット期間のようにこのテーマは各個戦局で浮上し
再認識されるべく新たに取り上げられよう。
末期的作劇のようで実は、その後の長期に備えての橋渡しかもしれない。