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G&Kの方針

 G&Kには三つのモットーがあります。

1 数決は絶対にあらず
2 議論を避けるべからず
3 来る者は拒まず

 以上の三つです。以下、それぞれ詳しく説明していきます。

1 多数決は絶対にあらず

 G&Kにおいて何かを決定する場合、例えば誰がGMをするか、どのようなシステムをするか、このルールはどう解釈すべきか、交番の前で「税金泥棒!!」と誰が叫ぶか、
あそこのネーちゃんに誰が最初に声をかけるかなどは、決して多数決で物事を決めないよう心がけています。
 出来るだけ満場一致で決める、これがG&Kの考え方です。
 よくゲーム中でも見られる
「このルールはAと解釈すべきか、Bと解釈すべきか」
 という場合、往々にして少数派の意見は
「君の意見は少ない、つまりマイナーだから受け入れられない」
 という結論に押し込められる時があります。これはいわば少数意見を数の暴力で潰している事と同じです。
 どちらが正しいか?
 少数派の意見は本当に無視されるような無価値なものなのか?
 これらを真剣に考え、多数派も少数派も間違っていないが対立せざるを得ない。 多数決とは、そんな閉塞的な状況を打破する最後の手段でなければなりません。

2 議論を避けるべからず

 ゲーム中にルールについて、あるいは特定の人のプレイスタイル、その他etcについて議論をする事は多くの場合「悪」とされています。
 ゲーム中の議論を良しとしない原因は
「せっかくのゲームだから楽しくやろう」
「大事なゲームの時間を無駄するのは良くない」
「議論が白熱して言葉が過ぎると皆が不愉快になり、ゲームが楽しくなくなる」
 というものが主なようです。
 多くの場合、ゲーム中に行われる議論はGMやPLに対する不備の指摘、不満の表明、ルール的な解釈における意見の相違です。
 しかし、議論とは問題意識から始まるものであり、そこで生まれるのは物事に対して取り組む真剣な、あるいはごく自然な問題意識です。問題意識を持つからこそ、議論が生まれるのです。そこに問題がある(と感じる)からこそ、人はそこに異論を唱え、議論が始まるのです。
 議論の否定は問題意識を持つ事を否定する事であり、そこには馴れ合いしか生まれません。馴れ合いからは進歩も、本当の意味でみんなと楽しくゲームをするなどというものも生まれ得ません。馴れ合う気のない人は「悪」なのですから、そんな人は「みんな」の定義から外されてしまいます。もはや差別、選民思想に等しいものです。
 そもそも、誰かが不満を感じているのに、それを表明する事を「悪」とするのはその人の発言を認めない、大げさに言えば言論の自由の封殺、その人の意見や心情の無視、無価値化という人権否定に等しい行いです。
 では、ゲームが終わってから議論すれば良いのではないか?
 これもよく言われる事です。
 確かにゲームが終了してからのほうが良い議論(つまり問題意識)もありますが、多くの議論や問題意識は「生もの」であり、リアルタイムな時間間隔で行わなければ意味を成さないものがほとんどなのです。
 少なくとも、GMのマスタリングが不当であると感じている場合、それは明確な不満であり、不愉快な感情です。それを「後にしろ」というのは、その人が気分を害している事を無視し、その人一人だけを我慢させている事になります。つまり他の人の為にたった一人が犠牲にされているのです。みんなで楽しむはずのTRPGなのにおかしくないでしょうか。その人は「みんな」ではないのでしょうか。
 なんでもかんでも議論はとにかく後回し、という姿勢は、ただ単に問題を先送りしているだけに過ぎません。
 わ我々が実際にゲームをする場合、必ずといっていいほどその世界ではトラブルや問題が起きます。やれトロールが現れた、やれ船が沈んで遭難した、やれ信頼していたNPCが裏切った、やれ会場の閉館時間が来た…。
 そんな時、我々はどうしているでしょうか?
「そんなのお前の問題だから知らん」
 我々のPCは言いますか?
 一つの問題はみんなの問題です。誰かが不満を感じたら全員の責任です。
 全員でその不満を解消するよう、実際のゲーム進行を止めてでも努力をすべきなのです。
 そして、議論が終わったら、気分を入れ替えてゲームに戻るべきです。それが本当の大人というものです。問題を先送りにしたり、その人だけに全ての責任をなすりつけて犠牲にしたり、その後も「議論なんかして時間が無駄になった」などとボヤいて自分で勝手に不愉快になるのも、て大人の取るべき行動ではありません。
 そうして問題に取り組む事は、例えダイスを振っていなくても、例えPCとして発言していなくても、紛れもなくTRPGの一部であるはずです。

3 来る者は拒まず

 参加条件守らない人を除いて、できるだけ他人を理解する事です。そうでなければTRPGという知的な遊びは出来ません。
 これは一般に言われている
「サークルに誰が来ても良い」
 という意味ですが、もう一つ大きな意味があります。それは、セッションを行っているテーブル一つ一つについてです。
 よく
「ゲーム中の卓に話し掛ける事は良くない」
 とされていますが、その程度で気が散るという事は、そのゲームの内容がつまらないという証明に他なりません。
 たとえ卓に座っていなくても、TRPG愛する人なら皆仲間です。
 困った時には外野の人であるからこその新鮮な意見を聞ける事もあるのです。
 私達が楽しんでいるTRPGという遊びの楽しみは、外部から話しかけられたという些細な事で失われる程、ちっぽけなものではないはずです。その程度でTRPGの邪魔になるなど、遊び下手の我侭や責任転嫁に過ぎません。テーブル以外の人は仲間ではない、そんな排他的な考えを、G&Kはおおいに軽蔑します。
 楽しみたい気持ちはみな同じだという事を忘れない、これが大事です。

4 モットーなんぞクソ食らえ!

 G&Kに決定なし!
 間違ってたら変えてしまえ!
 大事なのは見つめなおす事です。



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