考えなきゃいけないことが多すぎた。
まだ夢だったのじゃないかと思う。夢だったと思いたい。
でもあれはたしかに現実だった。
オレと弟の目の前でジェフが殺されたということ。
それと警察はなにもしてくれないということ。
あの後、ようやくやって来たパトカーに乗って行った警察署で見たことをさんざん説明した。
だけどあの男…ギースがあの時にはアリバイがあるというのが判明したとたん、証言は『目の前で起こったことがあまりにもショックだったため、混乱している。証言としての有効性なし』とかなんとか心理学者がぬかして取り消しになった。
ようするに、子供のたわごととされたのだ。
警察にはオレと弟の引き取り人としてリズが教会から来ていた。
リズは教会のシスターでジェフとはけっこういい雰囲気だった。
いつものように灰色のシスターの制服に身を包み、褐色の髪をきっちりと三つ編みに結っている。
いつもどおりではないのはきれいなヒスパニック系特有の小麦色の肌の顔に血の気がほとんどないと言うこと。それにいつも暖かい微笑が浮かんでいる顔が無表情になっている。
公園からここに来るまで、そして今も顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくっている弟(オレは弟のこういう…甘ったれた所が大嫌いだった)と怒りと悔しさで決して泣くことはしないと決めたオレの手を取り、しずかな声で言った。
あなた達二人には権利があるわ。復讐の権利が。そんな事は何の解決にもならないからやめろなんて言うあなた達と同じ目にあった事がない偽善者の寝言に耳を貸す必要なんて無いのよ。
目を閉じても網膜に焼き付いた緑と赤がちらついて眠ることができなかった。鮮やかな緑とその上にどす黒く拡がっていく血の赤。
そして『何もできない、してくれない』警察に俺とアンディを教会から迎えに来たシスター・リサの血の気が引いた唇から紡がれたカトリック教徒らしからぬ言葉がぐるぐる廻る。
たまらず寝返りを打つ。
「…兄さん、まだ起きてる…?」
恐る恐る、俺の背中にアンディが問いかけてきた。まだ泣いていたらしく、声がぐずっている。
俺は無視する事にした。朝からずっとこいつは泣き続けていた。いつもうっとおしく俺につきまとい、泣き虫でひ弱でなまっちろく、くそ甘ったれたアンディ。俺はこいつが大嫌いだった。
そしてこいつに「兄さん」と呼ばれることも。
だいたい勝手に『兄弟』にした教会のカイトのジジイもジジイだ。何が「年も近いし、背格好も似ているからテリー、お前が兄として面倒を見ろ」だ。
このことを俺たちの『父親』になって間もないジェフに言ったら首を少し傾げ、神妙な顔で言った。
「…俺にもお前たち二人はそっくりにだけどな…」
「どこが?確かに髪と眼の色はそっくりだけどさ、あんな弱っちいの弟じゃない。絶対」
「言い方が悪かったな…お前たち二人は心のできがそっくりなんだ」
そう言われて俺は自分でもそうとわかる程、不快感をあらわにした表情をしていたと思う。
それを見てかどうだか知らないし、今はもう聞くこともできないけどその翌日からジェフは護身術のトレーニングを俺たちとやるようになった。
そしてそのトレーニングの時にジェフは死んだ。
殺されたのだ。
殺人者への恐怖で助ける(そんなことができるはずもなかったが)のも、非現実じみた場面だったから眼をそらすこともできず、俺たちはただ見ているしかできなかった。
どうしてジェフがほとんど無抵抗の状態で殺されなくてはならなかったのか、俺にはわからない。
でもジェフは本当の父親以上に父親らしい人だった。
今この教会にいる子供に聞いてみればいい。実の父親がまともだったやつはそういないはずだ。俺やアンディも含めて。
殴り、蹴る父親はまだ良いほうだ。薬に狂い、ラリった勢いで自分の子供を殺そうとした奴。薬の金欲しさにチョッパー(解体屋。臓器売買人)に売られたのを必死で逃げ出してきた子供。実の父親が不幸なことに変態野郎だった子供。そんな子供ばかりだ。
そんな目にあった連中から見れば、ジェフはそれこそ理想の父親だった。
不器用で、若く、「父さん」などと呼ぶと少し照れくさそうに「そう呼ばれると急に年とった気分になるから名前で呼んでくれ」と注文を付けてくる。
そのジェフを殺したギース。
憎かった。名前と顔を思い浮かべるだけで怒りが込み上げてくる。
でもギースの名前は『憎悪』というどろどろした熱を体の中に呼び起こすと同時に俺を冷凍庫にたたき落とす『恐怖』の呪文だ。
あいつは強い。
それでもジェフが遭ったのと同じ目にあわせてやりたい。
今は無理でもいつか…。
「…さん…兄さん」
目を開くとアンディの顔が目の前にあった。少しだけ、眠っていたらしい。
「んだよ、この泣き虫」
「うなされて苦しそうだったから起こしたんだ。それに僕はもう泣き虫じゃない」
「へん、さっきまでずっと泣きっぱなしだったくせに」
「だって、兄さん全然泣いたりしないじゃないか。だから兄さんの分も僕が泣いていたんだ」
「……」
「でもね、決めたんだ。もう泣かないって」
どうやら本気らしい。充血してはれぼったい眼にはいつもの…絶えず何かにおびえる小動物のようなおどおどした色はなく、強い意志がこもっている。それにいつもの甘ったれた口調じゃない。
「それとね、しばらく兄さんとお別れだよ。僕はこの街を出る」
「出る?」
「そう。どこへ行くかもまだはっきりしてないし、どうするかもわからないけど…僕は強くなるよ。兄さんよりも、そしてあいつよりも。そしてあいつが…ギースが絶頂に登り詰めたその瞬間にどん底に叩き堕とす」
本気だ。
一時的なものかどうかはわからない。でもとりあえず今のこいつは本気だ。
朝の時とは全く別人のようになってしまっている。
その時になってようやく…ずっと昔にジェフが俺たち二人の事をそっくりだ、と言った理由が解った。それと自分でも不思議な程こいつを嫌っていた理由も。
こいつは…アンディは俺の嫌な部分をそっくり持っていた。そして俺がしたくてもできなかった事…他人に甘えたり、すぐに感情を表に出したり…簡単に泣き出す事をやっていた。
それは確かにうっとおしいが同時に…羨ましかった。
今のアンディにはそれらが消えてしまっている。
「…本気だな…?」
確かめるように尋ねると、はっきりと首を縦に振った。
俺は黙ってベッドの裏に張り付けておいたボックスカッターを取り出した。
「俺はここに残る…」
ネジを緩めてチップ一枚分程度の刃を出す。そしてそれを左手…心臓に近い方の手の平に圧し当てる。
一気に横に引く。
じっと見ていたアンディが息を飲むのがわかった。
「…俺は弱いやつだから…きっとギースの姿が見える所にいないとあいつがジェフにしたことを警察の連中みたいになかった事とかにしてしまいそうで…怖いんだ…でもあいつは…ギースは許せない」
血が流れ出る。数滴、床に垂れ落ちる音がした。
さっきからアンディは『なぜ…?』という無言の問いを含む視線を俺の左手に注いでいる。
「…こうしておけばジェフのこと…今日の事は忘れないだろ?」
この時俺は笑っていたらしい。アンディが後に寄越した手紙には『今にも泣き出すんじゃないか』という笑いだったらしい。
とにかく、アンディは俺の左手をじっと見てそれから俺の傍らに置いてあるカッターを見た。
ゆるゆるとカッターを手に取り、俺の血がこびりついたチップを折り取る。
それからさっき俺がやったように…左手の手の平に圧し当てて一気に引く。何のためらいも躊躇も無い。
その手をまだ血が止まらない俺の左手に重ねる。
「…共犯者だな…俺たち」
アンディが頷く。
こうして…俺たちは本当に血の繋がった兄弟に、そして共犯者になった。
10 YEARS LATER. PM 03:00
『…この熱波によりる死者は全米で七○○人を突破しました。とくにここサウスタウンでは重症者が続出しています。原因は…(紙をめくる音)…原因は治安が悪いため夜に戸締まりをしっかり行うため…?失礼。えー、サウスタウンではエアコンのない下層階級の家庭が多く、そのような家庭で自分たちの身を守るために行う戸締まりが裏目に出ているようです…』
ラジオのニュースは続いている。
あれから十年近く経っている。昔もここはあまり治安が良いとは言えない街だったがもっと悪くなった。
さっきのニュースがそれを語っている。現実はもっと酷い。
この時期のサウスタウンでは夜になるとほとんどの人間が生死の選択を迫られる。
自分の『安全な』ヤサにヤドカリのように閉じこもって朝までに蒸し焼きになるか、窓を開て夜の涼しい風とそこらの不法侵入者…ジャンキー、強盗、変態野郎、ガセネタを元に突入してくる警察とわたり合うか。
俺は公園の、あの広場がよく見える木陰のベンチに座り、そこらの様子をずっと観察していた。手入れの悪い芝生がカリカリに干上がっていくのを感じながら。
公園のすぐ外の道路では子供達が道端の消火栓をぶち壊し、撒き散らされる水を浴びて歓声をあげている。
当然ながらそれは犯罪なのだが誰も止めない。止めようとする警察官もいない。
手元のラジオも言っていたが、エアコンのない家の子供はこんな事でもしないと焼け死んでしまう。そして警察はこの暑さで脳が蒸発してしまった連中を取り締まるのに忙しい。
目の前を通り過ぎる警官がぼやく。
「まったく、ただでさえKOFで人間が溢れ返ってるこの時期に…!どいつもこいつもこの暑さで頭がイッちまっていやがる…」
そして広場の隅をたむろっている売人…今は時期が時期なだけに薬の売人よりも無許可のブックメーカー(賭け屋)が多い…を捕まえに行く。
あの日、教会を出てから今までずっと俺はギースの事を調べ、ここの強いやつらに喧嘩を売り、ぶち倒され、その度に技を盗んだ。
そして今こそ…時機だと思い、あいつに連絡を取った。
いつもは手紙だがこの時は電話を使った。
「…俺だ。KOFにエントリーする。勝った方に優先権ありだ」
これだけ。必要最小限の事だけ話すと切った。ここ街の電話はどれも盗聴されている。電話で名乗るのは愚か者のすることだ。
とにかく、俺はあの日から始まった犯罪計画の折り返し地点に着いた。
そして多分あいつも。
ラジオからニュースと交互に流れるKOFエントリーネームとオッズにはそれらしい名前が出ないが…あいつは俺を見つけられるだろう。
俺はあからさまな名前…テリー・ボガードでエントリーしているから。
どのみち会場で顔を鉢合わせても今は他人だ。計画が完了するまではそうする事が取り決めとなっている。
試合が始まる日没まではまだ時間があるのを確かめ、しばらく…日なたよりは涼しいこの木陰で休む事にした。
足元に置いていたラジオのスイッチを切り、身の回りの大事なものを入れているデイパックにほうり込む。
目を閉じる前に自分左手を眺める。あの日に付けた引きつれた疵がついている。
そしてKOFにエントリーした者に付けられる黄色いプラスチックのテープ。試合会場で棄権するかリングに上がるか、手首を切り落とすかしない限り外れないテープが巻き付いている。ナンバーは13。
実にいいナンバーだ。
暑さのためか鈍く痛みだした左手の疵を押さえ、俺はしばしの眠りに落ちた。
