妹のリリィを連れて家から逃げた。
大人たちが危険だと言うサウスタウンにためらい無く向かった。
家よりは安全だったからだ。
ヵタヵタ…ヵタヵカカン…
遠くから列車が近づいて来る音が冷たいレールに圧しつけた耳に伝わって来る。
周囲に緊張が走る。
俺のすぐ近く、俺とは反対になるよう体をレールの上に横たわらせていた奴がレールから離れる。それを確かめた瞬間に俺もレールを飛び出し、作業要員の緊急退避スペースに逃げ込む。
目の前をスプレーで落書きされまくった地下鉄が通り過ぎる。時速は約80キロ。あのまま横たわっていたら首が体をスッパリ離れるのに十分なスピードだ。
通り過ぎた列車が十分に離れるとこのくだらないゲームにかかわっている連中…俺ともう一人のような直接の参加者、ギャラリー、今回は見送った奴…が退避スペースから出でくる。
その数約20人。全員まだ10代だ。その連中の姿がぼうっと非常用ライトに浮かび上がる。
その中の一人、さっきまで俺の隣で横たわり俺と同じようにレールに耳を圧し当てていた奴が喚き出した。
「ビリーの方が早かった!」
言い掛かりもいいとこだ。俺の方がレールにへばりついている時間が長かったのは見ていた連中全員が知っている。
だが、この言い掛かりに今回俺に賭けなかった連中が乗った。無理もない。俺の相手もまさか自分の得意種目で負けるとは思っていなかったのだろう。俺に賭けた連中と今回は見送った奴らはここらじゃまだ新顔の俺がどう対応するか興味深そうに見ている。
自分で目にした事が信じられない奴は他人の言うことなどなおさら信じない。ましてや相手はここで勝った金をトルエンがわずかに入った安物の接着剤につぎ込んでいる奴だ。毎日ここで与え続ける『スリル』(ゲームの名前だ)との相乗効果で脳ミソはグズグズになっている。
一旦信じ込んだ自分に都合の良い現実はそいつにとっては真実となってしまう。
そうなると…やる事はひとつだ。
俺を取り囲む位置でにじり寄る連中がポケットに突っ込んでいる手を外に出す前に俺は着ていたコートの袖を大きく振った。
地下の暗闇に悲鳴が上がった。
俺のではない。
そして同時にどうなることかと日和見していた連中から上がる驚きの声。
俺は袖に入れていた武器と呼ぶのもおこがましい道具…ドロドロの接着剤を染み込ませたロープをガラスの破片の上で丹念に転がし固めたスティック…を握り、さらに追い打ちをかける。
そう、ここで徹底的にやっておかないと後々までこいつは事ある事に言い掛かりをつけてくるのは目に見えている。
足元で呻くそいつに言う。
「言い掛かりだったと認めろ。」
「……」
「さっさと認めた方がいい。明るいところで見られたもんじゃない身体になる前にな」
地上時間で夕方、いつもより少しだけ多い稼ぎをポケットに入れて俺は上に戻った。
ここに来てから毎日こんなことの繰り返しだ。そこそこの金になる。
ここには『子供は学校に行け』などと口うるさい大人がいない代わりに子供が稼げるまともな仕事もない。
さっきあそこにいた連中もそうだが、子供の稼ぎはたいてい『ろくでもない』仕事が元になっている。
薬の売人、及び運び屋。(これは稼ぎがいいが簡単に使いてられるし自分もジャンキーにさせられる)自分の体を変態に売るだけでは飽き足らず、文字どおり身体を切り売りしてる奴。
何人かでチームを組んでスリ・引ったくりを生業とするハイジャッカー共。
そして俺のようにそいつらの…その日の稼ぎをどうにか増やそうとやって来る奴を食い物とするゲームプレイヤー。
金の出所はどうあれ、今日の分はどうにかなった。
途中の屋台で食事を買って行く。リリィの分もなので二人分だ。
冷めないうちにと急いでシェルターへ向かう。シェルターはホームレスとストリートチルドレンの簡易宿泊施設だ。ここのは利用者が多いので週2回だけしか使えない。だが外よりは安心して眠れるので貴重だ。外だとハンティングを楽しむやつとか物盗り・その他に襲われるのが当たり前のように起こる。
この街はおちおち眠ってもいられないのだ。
「袖に何か仕込んでいるな、あの小僧」
自動車のアンテナか…あるいはただの棒切れか。とにかく武器だ。
目付きもまあまあだ。あと半年くらいこの街で生き延びることができればそれはサウスタウンに選ばれ、住むことを許されたということだ。余程のことでもない限り生きていける。
「気に入ったのですか?」
質問には答えない。
「シェルターから目を離すな。情報が確かならそろそろこちらが投げたエサに食いつくはずだ」
「…釣は朝早くか夕方がよく釣れますからね」
小僧は一人分にしては多いテイクアウトの食事を抱えてシェルターに入って行く。
ただのストリートチルドレンに見えるが武器を持っているしあの食料だ。あそこの連中が雇った使い走り兼ガード、という可能性もある。用心するに越したことはない。こっちは一人で…向こうは何人いるのかまだわからないのだ。
車の中から小僧が半地下式のシェルターに入って行くのを見届ける。
まだそれらしい動きはない。
あのシェルターであまり「好ましくない」商売が行われているらしい、という噂が流れ始めたのは割りと最近の事だ。時々あそこで人が、特にまだサウスタウンに来てあまり時間がたっていない子供が『消える』そうだ。
多少の事なら見過ごしてもいい。ここでは「強さこそ正義」であり、弱い者は淘汰されていくのが自然なのだから。
それでも連中は派手にやり過ぎた。このままでは『外』の力…普段はこの街を無い街として余程の事でも無い限り無視を決め込んでいる公的機関がしゃしゃり出て来る事も考えられる。それは避けなくてはならない。
私はこの街を狂気の沙汰の、魅力あふれる、最高に普通でない街にしておきたいのだ。
「…動きました」
運転手にいつでも出られるように待機させると私はシェルターへ向かった。
シェルターは何となくいつもと空気が違っていた。階段の所で顔見知りの奴とすれ違い、いつものように声をかけた。なのにそいつは俺に気づくと慌てて目を逸らし、気まずそうな表情を一瞬浮かべた。
「…?」
シェルター自体はいつもの通りだ。廊下を挟んで並ぶ宿泊室。いつもの通りではないのはいつも先に着いているリリィが部屋にいないということだ。…何かが起こっているか起こった。
「…リリィ!」
さっきの奴といい、ここのいつも利用してる連中のうち何人かは何が起きたか知っている。
廊下から俺の様子に驚いたここの利用者が数人、恐る恐るのぞき込んでいる。
「仕方無いんだ」
ぼそり、と後ろから告げた大人…アル中の、よどんだ眼の男を…壁に縫いつける。
「シェルターで、順番なんだ…チームに子供を差し出さないとシェルターごと燃やされる…」
諦めきった眼、淀んだ眼、疲れた眼。
俺の、大嫌いな色を浮かべた眼が俺に注がれている。
諦めろ、と。
告げる眼。
ささやかな安全。そのために本当の大事なモノを喪うのを見過ごせと?
「リリィは、どこだ?」
「無駄だ…」
告げた男を、手加減無しで殴る。俺を取り押さえよう、と手が伸ばされるが振り払う。
「リリィを連れて行ったヤツは、どっちに行った?」
「諦めろ」
イヤだ、と告げる代わりにもう一度殴る。歯と…脆くなっていた顎が折れる感触。
「裏口の救急車に似た、白と青のヴァン」
締め上げていた男を放り出し、裏口に向かう。
間に合わないかもしれない、などとは考えない。
裏口の、開きっぱなしになっていたドアの向こうの裏路地では奇妙な空気が拡がっていた。
停まっているヴァン。
その周囲に倒れている、救急隊員のような服…消防署の作業服に似たダークブルーの上下を着た男、上に白衣を羽織っている者…が数人。
頭上には空が拡がっているのに、ココはまるで地下道の、ゲーム場と同質の硬く重苦しい空気が満ちていた。
そのうえ、血の匂い。
匂いと空気の源に、唯一人佇んでいる大人の男が居た。
こんな汚い路地には不似合いな、仕立てのいいスーツを着た男の腕の中に、ぐったりとして動かない妹が居た。
「妹を…リリィを離せ!」
袖口からスティックを取りだし、男に殴りかかる。
紙一重でかわされる。
彼は、腕にリリィを抱えたままでかわす。
それも、最小限の動きで。
両腕に抱えたリリィを盾にするか、とも一瞬恐れたが彼は両腕を塞いだまま、殴りかかった勢いで体勢が崩れている俺に蹴りを繰り出す。
スティックで受けて軌道を変える。蹴りの鋭さにたえられなかったスティックが、曲がり、中程で折れる。
接着剤で固めたロープなので木のスティックのようにバッキリと、は行かない。途中で繋がったままだ。
中国の武具のようになったソレで、なおも殴りかかると迎撃用に繰り出された彼の足に、絡んだ。
先刻から、とり澄ました表情を浮かべていた彼の顔に、僅かな戸惑いそして、愉しそうな…本当に、しっくりと来るオモチャを見つけた子供のような…愉快な顔色が滲むように拡がる。
何が、おかしいのだろう?
俺が足掻くように、頭の何処かでは無駄だと判っているのに殴りかかっていくのが、そんなに滑稽なのか?
「何が、おかしい…っ」
一瞬、動きを止めた瞬間。
背中に激痛が走った。
「大丈夫ですか、ギース様?」
スタンガンと、電極部分から接ぎ伸ばされた自動車のアンテナ、ワイヤーを巻き取りながら運転手が尋ねた。
足もとには先刻シェルターに入っていく所を見届けた小僧が転がっている。
「なんともない。
この二人をタワーへ」
運転手の目が、怪訝な色に染まる。
「ここに放り出して置いても良いのではありませんか?人体屋チーム共々、明日には『掃除』が終わってます」
「数日前」
運転手の言葉を、制する。
「私は二人の子供から父親を奪った。
今、丁度ここに二人の子供が居る。シェルターに居るくらいだ。家は有っても帰れないのなら…丁度、バランスがとれると思わないか」
「二人を引き取ると?」
「二人が望めば、な。
私の周辺も最近とみに忙しく、人手不足だ。これからもっと忙しくなる。若くて元気のいい者が仕事に欲しいところだ」
運転手が、仕方ないといった様相で軽く肩を竦めて、転がっていた小僧を抱え上げる。
眼を開き、横になったまま周囲を確かめる。
薄い闇が拡がっていて、ベッドに寝かされてるのが判った。ゆっくりと躯を起こすとグラグラと揺れているような感覚。
すぐ隣にはリリィが眠っていた。ケガらしいケガは無い。全く知らない場所だというのに、むしろ普段よりも深く安らかに眠っているように見えた。
薄闇に眼を慣らししから、リリィを起こさないように、そっとベッドを抜け出し、毛足の深い絨毯を踏み分けてブラインドが下ろされている窓際に近づく。隙間から覗いた外は、光の海が拡がっていた。それも、眼下に。
黒い海に浮かぶ、色とりどりの光の粒とライン。
高い、高層建築の一室にいるのだ、と判った。
それも、かなり広い部屋。
目立つものはさっきまで俺とリリィが横になっていたベッド、ぐらい。
細く明かりが漏れているのはドアらしい。
そっと開ける。
眼を通していた報告書の、終盤に近づいたあたりで仮眠室へのドアが開く気配がした。
先刻の小僧がじっ、とこちらを伺っているのが判ったが無視して報告書に眼を通し続ける。
暫くして私の無視に気付いた小僧は私の広い執務机の前に近づいて来た。
「聞きたい事は、無いか」
報告書をフォルダに戻しながら尋ねた。
「アンタ、誰だ」
恐れを覆い隠そうとするかのようなぞんざいな口の利き方。
合わせた視線の先には子供には似つかわしくない攻撃的な、強い意志の有る真っ直ぐな眼が有った。
「ギース・ハワード。君の名前も聞かせてもらおう」
「ビリー。ビリー・カーン」
「他に訊きたい事は?」
「俺と妹をどうするつもりだ」
「どうも、しない。
彼女が気付いたらここを出て行くのも自由だ。
私としては、できればビリーと…リリィと言ったか…彼女にここに留まってもらって、私の仕事を手伝って欲しい」
「子供を売る仕事か?」
「ビリー、君のリリィのような子供を商品とするビジネスは私の流儀に反する。
私は人の能力、技術、意気を金に換えている。そして私は君の、大切なもののためなら躊躇わない意気を買いたい。それだけだ」
「見返りは?」
「安全な食事と寝場所」
「イヤだ、出ていくといったら?」
「さっきも言ったが、それば君の自由だ。私を殺したいから側にいる、という選択も良い」
「無茶苦茶な人だな、アンタ」
呆れたように、手が差し伸ばされる。
「ギース、俺はアンタに雇われる。ただし、リリィを泣かせるような事をアンタがしたら俺はアンタを殺す」
「かまわん。言いたい事は、それだけか」
「それだけだ」
「ようこそ、こちら側の世界へ」
差し伸ばされた手を取る。
指の間に、ガラスの破片が挟められている事に、ビリーの手を見た時に気付いていたがそのまま手を握る。
血が、流れるまで。
10 YEARS LATER.
am 07:00
「よかったな、下にルーフガーデンが有って。その上落ちた体勢が良かったし、イヤミなくらい頑丈な身体だ」
「治るか?」
「本人が、治りたがっているならな」
ダウンタウンの中でも入り組んだ通りの奥にある個人病院の一室でビリーは運び込んだ患者の手当をした医者の説明を聞いていた。
医者は、この患者が何者なのか知っていても会えて何も…彼の名前も顔も知らない、「運び込まれた患者の名前なんざ、いちいち憶えていられんよ」と告げた。
「あとはゆっくり休ませて、休養をとらせる事ぐらいだな。点滴もセットした。アンタも少し休みな。ずっと眠ってないだろう?」
ビリーが無言で首を振ると、医者は諦めて部屋から出ていった。
麻酔でまだ眠ったままベッドに横たわる10年来の雇い主の表情からは何の感情も…普段の不敵でふてぶてしい色も何も浮かんでいない。
スーツの内ポケットの携帯が震え、着信をしらせる。
「俺だ」
「兄弟を発見。張り付いてますが、如何なさいますか?」
殺せ、と指示を出しかけて横たわったままのギースの顔を見る。
彼は、殺したがるだろうか?
「泳がせておけ。手出しは絶対にするな。それと、社長はしばらく所用で出ている事にしろ」
「しかし…」
「判ったな」
「…わかりました」
回線を切る。
銃弾一発で事足りる事。
単純で簡単な事を、この男は好まない。
ドアを塞ぐように置いた椅子に座り、手に馴染んだスティックを抱えたままビリーは待つことにする。
彼が、ギースが目覚めるのを。
