ユーゲントの実戦部隊・候補生の訓練を兼ねた地上任務帰還後には各種の手続きが有る。
医療検査とカウンセラーによる心理テスト、任務報告の提出を終えて調整期間として与えられている最低72時間の待機時間。
まぁ、待機という名目が付けられているが事実上『休暇』だ。
次期ゲブラーの候補生たちは浮かれ、騒ぎ、浴びるように飲み、男も女も構わずヤりまくり…まぁ浮かれ騒ぐわけだ。
数ヶ月前までは俺もその1人だった。
「せっかくの休暇なのに、騒ぎが大好きな貴方にしては…珍しいですね」
休暇中の居場所(そんなもの、肩に埋め込まれたインプラント・チップでいつだってモニターされているのだが)を入力したモニターを一瞥して。
ウチのチーム(メンバーは8人)の中では情報分析・調整役となっているスタインが言った。
「ウチのフラットにネコが居んだよ」
「猫、ですか…」
「あんまり手はかから無ぇんだが…一週間も空けっぱなしだとどうにも気になってな。
緊急の用件が有るとき以外」
「待機時間中に呼び出しをかける、などという無粋な事は私の流儀に反します。
良い休暇を」
ドアの脇に付けられたタッチパネルに掌をかざし、チップを認識させる。
二週間ぶりにフラットの中に入るとなかなかに壮絶な風景が拡がっていた。
床を埋め尽くす、大量の紙とデータパッド。
どの紙にも数式、化学式、分子構造、解析プロトコル、実験スケジュールが走り書きで書かれている。パッドでは多面体分子モデルが構築されては分解されていく。
床の上。
紙で出来た海に、胎児のように躯を小さく縮めた…実質的には参謀役のスタインに告げた『ネコ』が居た。
ネコの名前は、ラケルと言う。
第一級市民・ガゼルの出身。
ユーゲントの、医学アカデミーのトップに位置する者たちの1人。
まるで産まれた当初からそうだった、とも語りたげに躯を小さく縮こまらせたまま。
深く、入室者にも気づかないくらいの眠りについている彼女を。
彼女を決して目覚めさせないように、そっと抱き上げる。
服の上からでも触れた瞬間に判る肋骨の曲線と固さ。
酷く薄い肉付き。
軽い体重。
俺が地上に居る間。
またコイツは空に浮かぶソラリスのアカデミーの研究室とアカデミーに隣接している俺フラットを往復して、家にも帰っていなかったのだろう。
もしくはフラットで独り
仕事に集中し「飛んだ」状態の彼女は寝食を忘れる。
常人なら寝食に充てているはずの時間は総て実験計画を立てては提出し、シミュレーターを使い、結果を提出するという事に充てる。
俺もゲブラーの、実践組としては無茶をするほうだが彼女の無茶苦茶ぶりには負ける。
ぶっ飛んだ状態、まるで何かのクスリでもヤってるか病気かというようなスピードで仕事を行って、ラボで泊まり込む時は興奮状態に在る神経を静めて無理矢理『眠る』為に睡眠剤を使う。
短く、深く休んで眼が醒めると仕事の続き。
ツラくないのか、と訊くと仕事で飛んでいる時は快感だと言った。
研究が止まる事、の方が辛いと。
そして時々、壊れたように外界の事に一切反応しない、眼を開いてはいても眠ったままの状態になる。
研究で飛んで、時々堕ちて…沈む。
沈む時や沈んでいる時の状態を彼女は恐れていた。
ゲブラーの技術と医療、科学を支える技術者を養成するアカデミーの者として。
己の体調さえコントロール出来ない者に研究を任せることは出来ないと上から言われる事を。
ラボから彼女の自宅(父親と母親、そして第三階級出身の使用人が居るらしい)は遠くは無いのに彼女自身の家には帰りたがらなかった。
家に帰るくらいなら、ラボに泊まると。
そして俺はラボに泊まるくらいなら、実戦部候補生の俺には優先的に支給されている公宅フラットをシェアしないかと持ちかけた。
候補生、とはいえ実戦チームは空中都市ソラリスに居る時間は多い方とは言えない。
不定期・抜き打ちで入る訓練や任務でフラットは一週間や二週間、続けて無人状態。
アカデミー・ラボにも近いから気兼ねなく使っていいと持ちかけた。
いつでも来ていいし、居ていいと。
奇妙な入れ替わり型の同棲が始まった。
互いが顔を合わせる事は稀。
今日は、特別だ。
眠っているだけなのか、それとも沈んでいるのか判らないが。
床で眠っていたラケルをそっと使った形跡のないベッドに運ぶ。
クロゼットから彼女用の夜着か、もっとラフな服に着替えさせようとしたが彼女の服は一着も無かった。
彼女用のクロゼットのスペースは空っぽ。
仕方が無いのでクリーニングから上がったまま封を切っていない俺の夜着の「上」をアカデミーの制服を脱がせた彼女に着せる。
細い肩の彼女には俺のサイズは大きすぎる。
余った袖、裾は膝丈までは行かなかったがチョット大きい作業服を服に着られているような状態。
脱がせた制服はクリーニングのシュートに放り込む。
1時間もしないうちに、同じサイズの全く新しい制服が届けられるようになっている。
念のため、実戦用に配られている医療キットで彼女の状態をチェック。
眠っているだけ、な事を確認する。
ハウスキーパー端末に家人が目覚めたらオートミールと、酒に漬け込んだドライフルーツのヨーグルト添え、チャイニーズ・ティーを用意するようにセット。
床に散らばっていた紙とデータパッドを分けてデスクに乗せる。
ページの順番、については見逃して貰おう。
俺はベッドの傍らにフラット備え付けのアームレスト付き椅子を移動させ、クッションを置いて楽な姿勢を取れるようにする。
彼女の頬に指の背でそっと触れる。
頬から顎にかけての柔らかい感触と曲線、流れる髪を指で愉しみながら、椅子に座ったまま俺も眠りに落ちた。