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名モ無キ人々ノ国

「どうにかならないの?」

「どうにもなりませんな」

 ゆったりとした車内で同じようなやりとりがもう数度、行われていた。

 渋滞。

 市内に入ったとたん、自分たちが引っ掛かった渋滞のひどさにため息がもれる。

 王族の人々だったらこんな時どうしていたのだろう、と後席でただ座している彼女は想像してみる。

「…きっと移動する前から通行止めでもかけていたのかしらね」

「は?」

「二カ月前に無くなったこの国の王族はこんなときどうしていたのかしら、と思ったの」

「ああ、あんにゃろ達でしたら戦車を先行させてましたよ…失礼。口が過ぎました」

「いいえ、ここの、セルシアの事をもっと教えて。本でしか知らなかったから…お父様は検閲を恐れて手紙も電話もくれなかったわ。わたしを生まれてすぐに国外に追い出しておいて、ね」

「危険だったのですよ。ここは。保存状態の良い中世そのままの町並みの観光都市というのは表の顔。王家直属の軍事警察に脅えながら生活する…そんなところでした」

「いまは?今はどうなの?」

「家族が不敬罪で捕まるかとか、図書館や美術館には王家を称賛する作品しか置けない…王政反対派の拘束されるところを撮った写真が消される事もなくなりましたね。貴方がたのように国外に避難したり、させられていた人々もだんだん戻って来ています。この渋滞のように問題もたくさん有りますが、悪いことではないと思いますよ」

「どうして?」

「人々が『どうにかしよう』と生きている証拠です。いろいろな物が行き来している」

「ふーん…」

「貴方のお父様がこの国の大統領になったら…」

「まだそうなると決まったわけじゃないわ…まわりがそう騒いでいるだけよ。本人にやる気が有るかが問題よ」

「そんなものですか…ま、王政撤廃に持ち込んだ立役者ですから当選は確実でしょう」

「そうね…ところで、この渋滞どうにかならないの?」

「どうにもなりませんな。少しは進んだのです。気長に行きましょう」

 後席で彼女はそっとため息をついた。

 窓の外をなにげなく眺めてみる。少し古めかしい、ごく普通の町並み。晴天の日差しが建物をさらに古めかしく感じさせるけど汚いという感じではない、と思う。

 歩道の脇にはさりげなく郵便ポストや公衆電話が設置されている。数カ月前までは使うのに勇気が必要だったそれらの設備も今は頻繁に使われているらしい。電話の前には行列ができている。

 自分の番が来た若い男は肩にかけていたナップザックからノートパソコンを取り出すとモジュラージャックを電話の脇に差し込む。

 手慣れた手つき。

 データ通信ができる電話が設置されている、という事に関心して見ていると何か様子が変なことに気づいた。 その男はしきりに自分の服のポケットを漁っている。何かを探しているらしい。目当ての物が見つからないらしく、ボールペン、鍵の束、丸めてゴムで止めた紙幣といったポケットの中身を電話の上に広げ始めた。

 彼の後ろに並んでいる中年の女が苛立ちの籠もった視線で彼を見ている。

 何となく、何があったのか、彼に起こっている『問題』が彼女には分かった。余計なおせっかいかも知れないけど退屈だった彼女は運転席で信号が青になるのを待っている運転手に言った。

「あの…ちょっとだけ外に出て構いません?」

「…?いいですけど」

「それと…コイン、貸して下さい」

「ジュースでも買いに行くのですか?」

「そんなとこ…急いで!」

 彼女の切羽詰まった様子にいぶかしげな視線をミラー越しになげかけながらも運転手はダッシュボードからコインを適当に一握りばかり取り出し彼女に手渡した。

「ありがとう。すぐ返すわね」

 そう言ってドアを開けると歩道の、電話機の前で後ろに並んでいる人々から苛立ちと非難の視線を一身に浴びている男に駆け寄った。

 コインを差し出す。

 突然、目の前に差し出された手とその上て光るコインに男は戸惑った。

「両替よ」

 彼女の言葉を聞き、少しだけ微笑むと男は電話の上に広げられたポケットの中身の一つ―丸めてゴムで止められた紙幣の一枚を魔法のように素早く抜き取ると彼女に渡し、同額のコインを受け取った。

 彼は自分の喉を指さし、手をクロスさせた。

「…あなた…口がきけないの?」

 男は頷くと、一瞬、悲しげな顔をした。それから彼女に向かって深々と頭を下げた。

 感謝。そして謝意のこもった動き。

「わたし、そんな大層な事したわけじゃないわ…あの…電話、使うのなら急いだほうが良いと思うんですが…」 周囲にいた電話の順番を待っている人々と、渋滞で暇を持て余した自動車の中の人間たちの視線が自分に集まっている気恥ずかしさに彼女はしどろもどろにそう言うと車内に戻った。

 気恥ずかしさのあまり、無言のまま前席の運転手に両替で受け取った紙幣を返す。受け取った運転手がつぶやくように言った。

「言葉が話せないのは不便かもしれませんが…心は伝わるんですよ」

「…そうね…」

「そこの信号、曲がって行くと遠回りですが目的地には早く着けると思います。どうしますか?」

「曲がって。いい加減、お父様も待ちくたびれてるでしょうから」

「かしこまりました」

 信号が青になり、すべるように車は曲がった。

[合格だ。多少トラブルがあったようだが君をエージェントとして採用する。身分証と新しい装備品が届けられ次第、現在使用しているこの端末を始末してくれ。今後も指示は基本的に端末を通して行われる。何か質問は?]

《自分はこれからも口をきけないふりをしなくてはいけないのですか》

[そうだ。大変かも知れないが、諦めてくれ]

 通信終了、の表示を確認し彼は接続していたモジュラージャックを電話から引き抜いた。

 返却口に使われなかった分のコインが音を立てて落ちてくる。電話の上に広げていたポケットの中身を手早く戻し、彼はその場を立ち去った。

 半年後、両替をしてくれた名前も聞かなかった少女が『大統領の娘』になった事を知った。

「時間は有りませんが方法は幾つか有ります。大統領」

「何だ」

「その1、レイチェル様の命を諦める。その2、旧王政派テロリストの要求を飲む」

「それだけか?」

「いいえ。とっておきのワイルドカードですが…その3、うちの腕利きのエージェントをあの城に送り込みレイチェル様を助け出す、というのが有りますよ」

「…人数は?」

「一人」

「一人?」

「彼なら一人で十分、いえ十二分です」

 それに彼は大統領息女に借りがある。両替、という小さいようで大きな借り。そのことは言わない。

 治安局の長官はかわりにセルシア共和国の大統領に自分の持っている端末を差し出した。端末は携帯電話につながれている。

「リターンキーを押せば、彼は行動に出ます…ご決断を」 日没まで、もう時間が無い。

 大統領の手が、端末に伸びた。