Click here to visit our sponsor






Olive

Drab

 

―あと少しだけ持ってくれれば…!

 半ば祈るような気持ちでジェフは攻撃コマンドをブロディアに送り続けていた。
 鈍い、装甲フレームの歪む不快な音がコクピットに響く。
 ディスプレイには機体の各所が不能となりつつあることが克明に表示されていく。脱出を促すサインが幾つも出ているが、パイロットシートのジェフは敢えてそれらを無視した。
 やがてブロディアのコンピューターは業を煮やしたのかパイロットの安全確保は無理と判断、ジェフを機体から吐き出した。
 だが、敵の包囲の真ん中に放り出されたジェフは格好の獲物だった。
 ホルスターからガンを抜くより素早くパワードスーツの兵士がジェフを銃底で殴りつけ、ジャングル特有の柔らかい土に彼を押え込む。
 口の中に泥と鉄錆の味が拡がる。
 わずかに離れた位置に無人となってもなお攻撃を続けるブロディアが見えた。
 それもほんのわずかの時間だ。
 すぐに周囲からVAに取り押さえられるのが目に入ってくる。
―やめろ…!俺のブロディアに触るな…
 叫んだ瞬間、後頭部に鈍い音が響く。同時にドロリとした熱が沸き上がって来る。
 ジェフが意識を保っていたのはここまでだ。


 パラパラパラ…
 耳に心地よい音が絶え間なく響く。拍手の音か、とも思ったが微妙に違う。
―雨…?
 雨の降る音などずっと忘れていたような気がする。
 ジェフはゆっくりと目を開く。
 だが何故か左側の視界は真っ暗のままだ。ガーゼが張り付いているのだ。
 左手で触れると汗と血でべたつく。それに熱を伴った痛みが蘇ってくる。
 身体を起こそうとしたが右腕の辺りが動かない。代わりに金属の冷たい音がする。頭をのけ反らせて手首の方を見ると、手錠がベッドの支柱と右手を繋いでいた。
―…敵に捕まったのか…?
 もっと周りをよく見ようと身体を動かす。
「あまり動かんでくれんか?治療がやりずらい」
 見えない左側から声がする。
 首だけ動かして右目で見る。
「だから動くなと言っているだろうが」
 声の主は地球人ではなかった。金属的な青い色の肌。ライア星人だ。
 医療用のゴーグルが顔のほとんどを覆っているため表情が分かりにくい。だが間違いない。
 彼はガーゼを左目の辺りから剥がすと傷を消毒液で洗う。
「ふむ、眼は大丈夫だな。少しばかり縫うぞ」
 そう言うと彼は針に糸を通す。苦手なのなかなか通らない。
「どこだここは…それにあんたは何者だ?どうして俺を…」
「やかましい怪我人だ」
 また糸が逃げる。苛ただしげに舌打ちをすると一息に続ける。
「まあいい。その生きの良さに免じて教えてやる。場所はあんたにとっては敵地の真っ只中とだけしか言えん。
それともう一つの質問への回答。私は…取り敢えずは医者だ。どちらかと言うと治療よりも痛め付ける方が得意だがな…」
 ようやく糸が針穴を抜ける。自称・医者の口元がかすかに緩む。
「…痛め付ける…?」
 ジェフは自称・医者の最後の言葉が気になって反芻する。
 数瞬後、針を近づけて来た医者からとっさに身を引く。
「動くなっつってんだろーが!手元が狂う。てめぇの瞼も縫い付けて二度と開かんようになるぞ!」
「…あんた…拷問屋…だな…?」
「だからどうした。今はそっちはやらんから、傷をふさがせろ」
 横になれ、と手ぶりで示すがジェフは従わない。
 そんな彼を見て首を振りながら医者は言った。
「考えてもみろ。痛め付けて聞くこと聞くのはあんたに対しての場合、最後の最後にすることだ」
「…?」
「あんた、自分の価値を全っぜんわかっちゃいねーな。
 最新のVA、AEXシリーズのパイロットが生きたままここにいるんだ。それも機体とセットでだ。できる事ならこっち側に引き込んでお互い気持ちよく協力してもらおうとするのが常道だろ?痛め付けて言うこときかすにしろ情報を引きずり出すにしろ、怪我してくたばりかけのままなのはあまりもたん。こっちとしてもおもしろくないからな」
 なおも疑うようにジェフは医者を見る。
 医者の方はあいかわらずゴーグルを着けたままなので表情が全く読めない。
 結局、再びベッドに横たわる。
 医者はああ言ったが、やはり不安は残る。動きを制限されている、ということもそうだが何をされるか解らない、という不安が。
「麻酔はかけないでくれ。ラリってる間に何かされたらたまらんぜ」
「…ったく、わがままな怪我人だな…まあいい」
 手早くこめかみの辺りの傷を縫い合わせる。
「他に痛む所とかないか?一応わかっただけの怪我の治療はこれで最後なんだがな」
「そうか…ならもうないんだろ」
 ぶっきらぼうに答えたジェフ。わずかに眼をそらしたのが失敗だった。しまった、と思った時にはもう遅い。
 医者が手早く注射を腕に突き立てる。
「おやすみ、中尉。とりあえず今は体力を回復させることだ」
 空の注射器をふき取る医者は唇を笑みの形に歪曲させて言った。
 穏やかな声だった。
 だがジェフにはまるっきり悪魔が笑っているとしか見えない。
 再び意識が白濁する。


 昔、誰かが『医者が恐ろしい』と言った。
 その場にいた者のうち、何人かは苦笑してそのVA乗りの話を聞いていた。笑い声には一向に構わず、その『誰か』は続けた。
 医者には気をつけろよ。
 あいつらは確かに治すことができる。
 腕のいい医者はどこをどうすれば治るという事を知っている。
 だが、同時にどこをどうすれば長く効果的に、絶え間無い苦痛を与えられるかも知っている…。

 

 まるで全ての感覚に霞がかかっているようだ。
 雨はもう止んだのか、音が聞こえない。あるいは薬で感覚が低下し、聞こえないだけなのか?
 どれほど時間が経ったのか確かめようと左腕を持ち上げる。いやに疲れる。あるべき所に時計は無かった。
 パイロットスーツはそのままだったがポケットの中は完全に空になっている。
 当然ながら銃もない。
 何かないかと周囲を見回す。
 ジェフがいるのは白い、小さな部屋だった。輸送用のコンテナを改造したものらしい。
 それでわかった彼にとって都合の良かった事といえばあの拷問屋がいなかった事だけだ。
 右手は相変わらず手錠でベッドに固定されている。
 ふらつく頭を抱えながらゆっくりと身体を起こして手錠を確かめる。たったそれだけのことなのに薬のせいかやけに疲れる。
 手錠そのものはシンプルな作りの良く見るタイプだ。
―とりあえずコレはどうにかなりそうだな…。



「…一体どうやったのか、是非教えてもらいたいもんだな」
 数分後、コンテナに入って来た医者は息を切らせて床にのたばっているジェフを見下ろして言った。
「…何をだ?」
「手錠の外し方。それと薬の破り方かな。あと一時間は動くこともできないはずなんだが…」
「悪いが営倉入り常習者の専売特許だ」
 医者は床の隅に手にしていたトレイを置くと床を這いずり回っていたジェフを軽々と担ぎあげ、ベッドに降ろす。
 一体この医者の細っこい体のどこにあんな力があるのか、思わず目を見張る。
「あんたもサイボーグなのか?」
 ジェフの問いに肩をすくめて首を振る。ゴーグルで表情を見えないそのしぐさは肯定とも否定とも受け取れた。
「っとに口の減らん捕虜だ。元気なのはおおいに歓迎だがな。それに私は『あんた』なんていう名前じゃない」
「じゃ、なんて呼べばいい?」
「…そうだな…じゃレミエル」
「?何だそりゃ?」
「確か天使の名前だ。『神の慈悲』とかいう意味の。あんたらの惑星の宗教にいる」
「妙な事に詳しいな」
 壁に体を寄り掛からせたまま、ジェフはレミエルが先程部屋の隅に置いたトレイを拾うのを見ていた。
―結局、振り出しに戻る、か。
「それはともかく、腹減ってないか?」
 言われてみて空腹なのに気がついた。
 レミエルが手にしていたトレイを差し出す。連合軍のレーションだった。封は切られていない。
「脱走するにしろ、何にしろ、空腹のままじゃまともな判断力が働かないだろが」
 あたまに来るがその通りだ。受け取ろうと手を延ばし、ふと迷う。
 ワナではないのか?と。
 何か細工がしてないか、受け取ったパッケージをなで回すジェフにレミエルが言う。
「薬を入れるだのといった地球軍がするような小細工はしていない。安心しろ」
「そう言われて素直に『はい、そうですか』と信じられるか?第一、連合軍のレーションってのがいかにもうさん臭い」
「別にうちのと…サイボーグのと同じもん食わせてもいいがな、食った後で後悔するぞ。多分」
「…そんなに不味いのか?」
「嗜好の問題だろな。あと信念の」
 結局、空腹には勝てずに封を切る。
 不味いと評判の携帯食だが、このときばかりは美味いと思った。
「まぁ、ゆっくり味わって食べるんだな。場合によってはこれが最後の食事になるかもしれん」
 一瞬、ジェフの手が止まる。
「場合によってはだ。とにかく食べとけ。食事中にどうこうしようなんて無粋な事は私の流儀に反する」
「…そうだといいがな。ところで、ブロディアはどうした?」
「ブロディア?」
「俺のVAだ」
「私は人間専門なんでよく知らん。メカニックに聞け」
 あっさり否定する。だが口ぶりからしてブロディアは近い所にあるらしい。
 それに連中はブロディアの整備はできても中身を、特にセントラルコンピューターをいじくる事はできないはずだ。マスターキーを持っていない限り、CCをどうにかするにはジェフが、専属登録されたパイロットが必要だ。それも生きた正常なパイロットが。
「で、人間専門のあんたがこれからする事は何だ?」
「まずは説得と交渉。それでだめだったら私の腕の見せ所になる。で、おまえこっちの方で戦う気はないか?」
「…本気かよ」
「真剣だ。第一、あんたは痛い目に合わずに済む」
「そりゃまぁそうだろうけどな…さっきもそんな事言ってたが、そんなに俺が必要なのか?」
「上の連中は『喉から手が出る程欲しい』とさ」
「…だったら何でさっきの寝てるうちに何もしないでいた?ロボトミーなり何なり、医者の技術でどうにかできたろが」
「それも良いだろうがな、それじゃ連合軍はだまされんだろ。特に…あんたのVAは」
「なんでそこまで熱心に懐柔しようとする?」
「この戦争をさっさと終わらせたいから…かな」
「…?」
「どのみちこんなアホくさい戦争、やってられっか。どうでもいいからさっさと終わらせたい。それだけだ」
 吐き捨てるような声。
 この戦争を引き起こした敵の一人にしてはレミエルは妙な事を言う。
「だったらアズラエルの奴をぶっ殺せばいいだろ」
「それで済むのだったらとっくにやってる」
 さらり、と言ってのける。
―何なんだこいつ…。
 それでもこの医者はふざけているようには見えない。
 あるいは見せないだけなのか?ゴーグルで表情を隠しているように。レミエルはさらに続ける。

「彼は踊らされてるだけだ」
「踊らされてる?だったら踊らせてるのは誰だ」
「…教えてもいいが、知ったらどうする?」
 ジェフは言葉に詰まった。知りたい。だが、知ったら後に退けない。いずれにしろ、このままでは埓が明かない。
「さあな…ひょっとしたらそれを知って俺があんたらに付くことを考えるって事もある」
「時間稼ぎにしては下手な回答だ。…ここまで話したんだから、あんたも何となくは分かってるはずだ。ヒントも腐るほど見て来たろうし、ここでも見たはずだ」
「……」
 レミエルはポケットから薄いケースを取り出した。中にはアンプルが入っている。
 その中の一本の首を折ると中身を注射器に吸い上げた。
 上を向かせて空気を抜く。
 ジェフはただそれを見ているしかなかった。逃げたくても薬がまだ残っているらしい。足はまるで取って付けたかのように動かないのだ。
「あとは自分で考えな…次に目が覚めたら返事をきかせてもらう」
 意識がまた沈み込む。



 『敵と遭遇、交戦中』とのメッセージを最後に先行していたRUSHが消えてから二時間が経過していた。
「フォーディのセンサーでもRUSHのシンボルが拾えないなんて…」
 暗い表情でサラが言う。
「…やられたのか?」
「最悪の場合そうなのだろう…あるいは…」
 レイは隣のグレンの表情を窺った。
「詮索は後だ。とにかくミッションは続行する」
 重苦しい口調でグレンが言った。
 サテライトからのデータを調べればすぐにRUSHは見つけられるのかも知れないが、それはできない事だった。
 今回、彼らに与えられた指令はライア星の密林にある熱源の調査である。そして敵の人工的施設―基地やプラントだった場合はそれを破壊すること―だ。万が一何も無かった場合にそなえてミッションは隠密行動である。
 目立つことは極力、避けなくてはならなかった。
 三人はそれぞれのVAに乗り込むとカムフラージュを取り除き、システムを立ち上げ、エンジンをスタートする。
 三機のVAが動き出した。



 一体何時間たったのか、全く解らない。とにかく再び目が覚めたときは両腕がベッドに固定されていた。
「…何だよこれ…」
「また逃げようとされたらたまらんからな。で、どうする?いっそ寝返ってみないか?」
 医者はあれからずっといたらしい。上から見下ろしながら話して来る。
 嫌なやつではある。
 嫌な奴でしかも何を考えているかが読めない。要するに、食えない奴なのだ。
 だが、少なくとも卑怯な奴ではない。多分。
「レミエル、あんた、少し勘違いしてないか?」
「というと?」
「俺が戦っているのは連合軍とか主義とかなんかのためじゃない」
「……」
「俺はうちの隊の連中に攻撃する意志を持つ奴はたとえ上官だろうとためらわずに攻撃するぜ。敵と見なしてな。上手く言えないが、そう…強いて言うなら俺はブロディアに乗るために戦っていると思う」
「…随分と利己的なんだな」
「ブラッディアーマー隊はなんだかんだで妙な奴ばかりで編成されているから…ライア人とかライアハーフとか俺みたいなむちゃくちゃな奴とか…実力本位のエリートで構成されていると言えば聞こえはいいが、要するにはみ出し者の集まりだ。連合軍の中でもかなり浮いている。潰そうと狙っている奴らは山ほどいるから利己的にもなるさ。それにこんなメンバーのせいなんだろな。いまの戦争で地球軍には『だからライア人は信用できない』だとか言う馬鹿どもがいるし、これを口実に喜び勇んで戦争している奴もいるが、俺はそうは思えない」
 レミエルはじっとジェフの言うことを聞いていた。
 やがて、例の肯定とも否定とも取れる、奇妙な肩をすくめて首を振る仕草をする。
 今はジェフの話に呆れている様にも見えた。
 実際、そうだったらしい。
「あんたはその…何というか変わっている、おもしろい…ユニークな奴だ。実にな」
 そう言うとレミエルは服の中から金串のような器具を取り出した。他に歯医者の治療で使うような鋭い鍵状のスティックがいろいろ。
 見ているだけで全身がけばだつ感覚を覚えるそれらを全部、丁寧にジェフの目の前にある小さなサイドテーブルの上に並べて行く。
 少なくとも、まっとうな治療に使う道具ではない、というのは医学の知識がさほどないジェフにも解る。そうなると、レミエルの仕事柄から何に使う道具なのかは瞭然である。
―さすがにもうだめか…。
 テーブルの上に先刻まで自分が持っていた、サバイバルナイフが置かれる。
 どうやらそれで最後だったらしい。
「…さて、と…誘ってみたが…どうやらジェフ・パーキンス中尉、あんたからは協力していただけないらしい。そうなると、私はあまり好きではないが、否応無しに得意になってしまった、こういったスマートではないやり方に突っ走るしかない。
 だがあんたはおもしろい奴だ。こんな時代にゃ珍しい、標本にでもしたいような地球人だ。あるいはただの愚か者なのかも知れんがな。そこでだ、一回だけ究極の選択の余地をやる」


「……究極の選択?」                 

 怪訝な顔のジェフを無視してレミエルは器具(ワークス)の乗ったサイドテーブルをジェフの固定されたベッドから一番遠い―と言っても実際には五メートル程だ―壁際に移動させた。
「しばらくの間、私はここから消える。
 煙草を一箱、灰にするくらいの時間だ。あんたの身体はまだ薬のせいで作り物か何かの様だろうが、『営倉入り常習者の専売特許』とやらで手錠はどうにかなるだろ。とにかく、私が戻って来るまであんたが何をしようと私は一切関知しない」
「……」
「あそこの道具でどうにかここから出ようとするのも良いだろう。ひょっとしたらここのロックをはずせるかも知れないからな。だが、どのみち私や他の連中はあんたをここから生かして出す気は毛頭ない。
 そしてもう一つの選択。私はこれでも腕は良いほうだ。協力しないって言うなら、あんたはその…死ぬのに苦労するはめになる。そんな嫌な思いをする前にあそこの道具を使って楽になる、という選択だ」
 何なんだ?この提案は…これはまるっきり…ゲームだ。しかもどちらかというと猫が獲物の鼠をもて遊んで殺すといったたぐいの。
 そこまで考えて、ジェフは先刻、目の前にいる医者の名前の意味を思い出した。

 レミエル。神の慈悲。
 彼は神のつもりなのだろうか?

「…それがあんたの…『神の慈悲』か?」
「神?そんなものどこにだって居るもんか。これはただの気まぐれだ」
 そう言うとレミエルは出て行った。ガチリ、というロックの音がやけにはっきりと聞こえる。
 ジェフは少しだけ、迷った。それでもすぐに結論に達する。すなわち、
「何もしないで後悔するのは性に合わない。やってみれば何とかなる」。
 先刻やったように手首をひねると鈍い音と痛みが走り、関節が外れる。手錠から手を抜き取り、身を起こす。どうにか大丈夫らしい。立ち上がり、テーブルに向かって歩こうとするがまるでぬかるみを歩いているようだ
 一歩進むごとに目眩が襲ってくる。
 ふらつき、床に膝をつく。テーブルにすがりつくように立ち上がると上に乗っていた自分のサバイバルナイフをどうにか手に取った。
 ドアの隙間に全体重をかけてナイフを突き立て、そのまま下に引き降ろす。
 衝撃を受けると硬度を増す、という特殊金属で作られたナイフはコンテナに掛かっていたロックを数回斬りつける事でぶった切った。
 まるで生暖かいバターを切るような感触。
 ドアを圧し開けて外に出る。
 自分が出て来たのと同じような輸送用のコンテナが並んでいた。壁に手をつきながら歩きだす。人の気配は全くしない。
 ただ音が…始めに気が付いた時に聞いたパラパラと雨の降る音がかすかに響いている。
 外に通じている事を祈って、もうひとつのドアを開ける。
 音が大きくなるが外ではない。
 何かの工場の様だった。大きなタンクが幾つも並び、褐色の液体が波打っている。そしてどこかで昔、嗅いだ覚えがある匂い。
 次々とパイプを通じて空になるタンク。そしてそこに新たに加えられる原料。凍結しているらしく、冷気が白く上がっているのが遠くから見て取れた。それが『雨』の音の正体だった。
 だが一体何を作っているんだ?それにここはミッションで破壊命令を受けた例の熱源の正体なのだろうか… コンベアが丁度、手前のタンクにつながる。
 音を立てて投げ込まれる原料を目の前で見て、ジェフは一瞬、まだ体に残っている薬のせいで幻覚を見ているのか、と疑った。
 あるいは夢であって欲しい、と願ったのかも知れない。
 タンクの中に落とされて行くそれらはどう見ても人間の腕や足、あるいは内臓だった。
 白、黒、赤、青、地球人とライア人の色が入り混じった毒々しい色。


―何ナンダ…コレハ一体何ナンダ…!


 死体ならそれこそ戦場で幾らでも見て来たし、自分でも作って来た。
 それでもこの光景には嘔吐を覚える。


 ここでは、この工場では人の体だった物を何かに作り替えている…。


「そこで何をしている!」
 詰問の声。体が勝手に動き、とっさにタンクの陰に転がり込む。直前まで居た所の床が焼けていた。
 警報音が響き渡る。そして警護用ビットが集まってくる低い飛翔音。
 とにかく今はここを出る事だ。
 なんとしてでも。
 タンクの整然と林立する向こう側に別のドアを見つけると一気に駆け抜ける。上から降ってくる攻撃の事は考えない。そんなことで躊躇していたら殺られてしまう。銃弾が体を掠める。
―こんな所で死ぬのはイヤだ。絶対に。
―できることなら少しでもブロディアの近くに行きたい。いや、行ってみせる。それさえ出来れば、きっと何とかなる。
 扉にたどり着いた時には体中に傷がない所がないような状態になっていた。グリーンのパイロットスーツのいたる所に黒っぽい染みが拡がっている。幸いな事に致命傷はない。それに痛みはあまり感じない。この点だけはあの薬に感謝した。
 金属製の扉を開ける。やけに重い。
 階段が上に続いている。上に薄明るく光っている四角い出口が見えた。
 ジェフは駆け上がり、外へ出た。
 密林の中にあるちょっとした広場だった。すぐ後ろには今出てきた地下の工場への入り口。
 広場全体がまるでドームのように上が植物で覆われている。人工的なものなのかもしれない。
 広場の向こう、平面上三○○メートル程離れた樹木の緑の中に一際目立つ赤い色が見える。
 ブロディアだった。
 ジェフは身を隠せる遮蔽物がほとんど無い広場をひた走った。
 しつこく追いかけてくるビットの攻撃はかわすしかない。かろうじてまだ右手にあるナイフ一本ではそれが限界だった。
 ようやくブロディアにたどり着く。ハッチに手を掛けた瞬間、右の脇腹に鞭で殴られたような鋭い衝撃を感じた。
 上を、ブロディアの肩の辺りを見上げると銃を手にしたレミエルがいた。
 とっさに右手のナイフを投げ付ける。
 レミエルの肩に当たり、硬い音が響く。突き刺さるはずのナイフは弾かれた。レミエルはその衝撃で銃を手の中から取り落とす。
「…レミエル、あんたのその腕…サイボーグなのか?」
「まあな。それにしても中尉、あんたの強運とそのバイタリティには敬意を覚えるよ。正直、ここまで来るとは思っていなかった」
「そっちの兵士が間抜けのお陰でな。そんな事はどうでもいい。そこ、どけよ。おれは帰るからな。絶対に」
「私は言ったはずだ。ここから生かして出してやる気は毛頭ないと。それにその怪我…肝臓にでかい穴をあけたその体でどこまで持つ?いいかげんあきらめたらどうだ」
「やってみなけりゃわからんぜ。事実、俺はここまで来れた」
「そうか…だがもう手札は無いのだろう?」
「…あるさ…」
 ジェフがブロディア起動コードのパスワードを口にする。
 パイロット用ハッチが開く。
 レミエルは機体の動きでバランスを崩し、地面に落ちる。彼の顔に付けている医療用ゴーグルの割れる音がやけにはっきり響いた。
 シートに座り、ハッチを閉める直前、ジェフは言った。あまり答えは聞きたくなかったが聞かずにはいられなかった。
「レミエル、ひょっとしたらあんたの言う通り俺は死ぬかもしれない。だから冥土の土産に教えてくれ…あの工場で作っていたのは一体何だ?」
 出血のせいか声が浅い。
「食料だ」
 壊れたゴーグルを外しながらレミエルは答える。顔に破片が幾つか刺さっているが血は流れていない。それらを払い落としながらちょっとした沈黙のあと、付け加えるように言った。
「サイボーグのな」と。
 そして吐き捨てるように続ける。
「中尉、覚えておけ。戦争ではどんな汚い事だろうと正当化される。死んだばかりの兵士の心臓から手術用の血液を吸い取るなんてのは序の口…あれはその延長だ。そして戦争の『あほらしさ』の一部だ…」
 ジェフは最後まで聞かずにシステムを立ちあげ、ハッチを閉じる。
 壊れた部分は整備されていたが武装は全て剥ぎ取られていた。近くにいる他のVAから兵器を奪っている時間はない。
 そのままジャングルの中に飛び込む。
 脇腹からの出血が止まらない。傷口を押さえている左手が血でべたつく。
 ディスプレイに追跡して来るVAのシンボルが幾つも映っているのがかすむ目に見える。
 ブロディアに密林の植物が絡み付き、動きが極端に鈍っていた。
―まだだ…まだ諦めるのは早い…
 だがここで終わってしまっても別に構わないような気もする。
 やれるだけの事はやったのだ。
 血が流れ過ぎた。もうまともに考える事もできなくなって来ている。
 ジェフはシステムをオートに切り替えると目を閉じる。
 あとは自分が今まで一緒に戦闘をくぐり抜け、育てて来たブロディアのセントラル・コンピューターが適切に状況を判断し行動する。
 自爆も含めてだ。
 これでいい、と思った。
 ピッという警告音。薄く目を開けてディスプレイを見る。かすんで良く見えない。だがIFFサインはグリーンで表示されている。
 味方だ。
 即座に通信回線がオープンになる。かなりノイズが混じっているが聞き取る事はできる。
[…レーン…RUSH、聞こえているか?答えろ!]
 聞き慣れた声だった。ノイズキャンセラーが働き、鮮明に入ってくるようになった。割と近くにいるらしい。ようやく読み取れたディスプレイには
《LINK AEX―12J FORDY》の文字。
「うるせえぞセイレーン…頭に響く…それよりジャスティスはそこにいるか?」
[何が起こっている?RUSH、状況を報告して]
「敵に囲まれている…負傷してもうしゃべるのもつらいんだ…とにかく俺のいる辺りにサテライト使って攻撃を…頼む…敵のプラントが足元にある…」
 通信の相手がセイレーンからジャスティスに切り替わる。
[大丈夫か]
「多分…ブロディアをマーカーにしてサテライト・ビームぶち込め」
[難しいな…対パルス防御してくれ]
 通信はそこまでだった。対パルス防御の言葉を認知したブロディアのシステムが自動的に全システムをCLOSEしたためだ。
 ディスプレイが消える直前にガンを構えたゲイツだのトータスといった敵のVAが写っていた。
 ジャスティス…レイは『難しい』とは言ったが、出来ないとは言わなかった。やるだけの事、やれるだけの事はやったという充足感がジェフの内にみちて来る。
 コクピットに闇が満たされる。そしてそれはジェフの意識の中にも侵入して来る。残ったのは自分から流れる血の匂い。
 数秒後、天空の遥か上空から近辺にエネルギービームが撃ち込まれた。爆発とそれに伴う振動が響く。
 だがジェフはもうそれらを感じることができなかった。



 どうにか救助が間に合ったジェフ・パーキンス中尉が意識を取り戻したのはそれから三週間後だった。

 彼が目が覚めたとき、側にいた同僚のホワイト少尉に「心配してたのか」と彼が問いかけたところ、猛烈な平手打ちが返って来たとその場に居合わせ一部始終を見ていたターナー大尉が語っている。
 それを聞いて彼らの隊長であるグレン少佐は「彼女らしい親愛の表現だ」と妙に納得した様子で頷いた。







Olive Drab/(陸軍用語)緑褐色の軍服
; MISSION COMPLETED