乱雑機械 sideB
カプセルの透明な溶液が血で染まった。
溶液中でセンサーやコードに繋がれ浮かんでいる「12号」と呼ばれる娘が苦痛にのたうち、カプセルの内壁に爪を立てる。だが丈夫なソレはびくともしない。
周囲で繋がれた機械を操作し、取り囲んでいる白衣の大人たちはその様子を冷ややかに観察し、淡々とデータを読み上げる。
彼らにとって、これはごく日常的な事なのだ。驚いたり、慌てふためくに値しない出来事。
声が出せないため、懇願するような視線を差し向ける「12号」。
彼らはそれを完全に無視した。これもまたいつもの事だった。
「脳力・210まで拡張」
「溶液のイオン濃度調整コンマ5。『12号』にかけるストレスは?」
カプセルの設置されたフロアを見下ろす位置にあるコントロールルームで問われたのは大人たちの中でも一際若く見える東洋系の男だ。この研究の総指揮者である。
博士、と呼ばれるその男はカプセルとセンサーからのデータが表示されているモニターを一瞥すると指示を出す。
「ストレスはあと20、上げろ。それから状態凍結、13号にデータを繋げて『張り付け』を行う」
その日の分の『研究』が終了したのはさらに30分後だった。
博士はコントロールルームからカプセルが設置されたフロアに降りる。カプセルのイジェクトキーを押すと溶液があふれ出す。
中にいた「12号」が激しく咳き込むと溶液と血が混ざった物が吐き出された。
「可哀想に…苦しかっただろう?」
博士はまるで壊れ物を扱うように「12号」を抱き上げる。
「今日はもう終わりだ。ゆっくり休みなさい」
穏やかで、むしろやさしげとも思える声で彼は言った。
言葉をかけられた「12号」は苦痛のあまり涙も流れない。
「12号」と呼ばれる彼女は与えられた個室に戻されると力が抜け切った身体をベットに横たえ、ゆるゆると手を延ばす。
延ばした指先に触れた物を一つ一つ確かめる。
シルク、コットン、ネル…。
作るのに手間と時間が掛かる天然素材の布と服。昔はごく当たり前の素材だったが現在は上に超がつく高級品だ。
そしてテーブルの上には合成ではない、本物の青果類と肉が使われた食事。生の花が一抱え分ほど活けられた花瓶。
苦しい研究の『協力』に対して与えられる贅沢の数々。
つい数カ月前までは研究もこれらの品々も彼女とは全く無縁だった世界だ。こんな世界は知りたくもなかった。
そう、数カ月前にあの博士と呼ばれる男が家にやって来てこう言った。
「迎えに来たよ、12号」と。
人好きのする笑顔と物腰。穏やかな声。
ごく自然に、床に座り込んだ彼女に手を延ばす。
だが伸ばされたその手には血がこびりついていた。そして彼の足元の、古びたコンクリートの床にはゆるゆると黒ずんだ血が拡がって行く。
出血源はついさっきまで彼女と一緒に冷えきった合成パンを食べていた『父親』だ。
何が起こったのかよく理解できていない彼女はようやく口を開いた。
「…お願い、父さんを助けて…!」
博士はわずかに戸惑い、首を横に振ると言った。
「それは君の父親ではないんだ…君には肉体的な父親はいない。…君は基本のDNAから人工的に作られた、限りなく機械的な人間だよ」
「どうして?だからといってどうしてこんな酷い事をするの?」
「酷い、か。酷いのは彼の方だ。ようやく人工子宮の外に出た君を奪ったのだから…何カ月もかけて細胞を作り、増やし、育てた私の元からね」
「…え?」
「帰ろう、12号。君の家はここじゃない」
再度、手が延ばされる。
彼女は倒れ、生の気配が急速に薄れつつある養父と目の前に延ばされた手を見た。
幾度となく養父から言い付けられた言葉…外に出てはいけない、窓際に立ってもいけない。お前のその緑の髪、それを人に見られてはいけない。決して…。
なぜ、と聞いても決して応えてはもらえず、それ以上聞くのがはばかられるような悲しげな顔をするだけ。
だが博士は答えてくれる。明確に。
そして彼女は差し延ばされた手を取った。
研究所に連れて来られた(博士に言わせれば帰って来た)その日、以前住んでいた部屋とは比べ物にならないほど清潔で広い部屋を与えられた。しばらく休んだ後、様々な検査が行われ、『研究』が始まった。あのカプセルに繋がれるやつだ。
あまりの苦しさに翌日、『研究』を拒否すると博士は彼女を不自然な姿勢になるように鎖と鉄の環で床に繋ぎ、数日間そのまま放っておいた。
最低限の水と食事は与えられるがそれだけだ。
助けは求めても無視された。誰もが彼女を物として見た。
まともな食事と清潔な服、暖かで柔らかいベッド。それら以外の事を考えるのが億劫になって来た頃、博士がやって来て言った。
「研究に協力するならばそれらを与えよう」と。
迷いもせず虚ろな瞳で彼女は首を縦に振った。
翌日から、また『研究』が始まった。
「12号」はラボに向かう途中、ストレッチャーとすれ違った。
白いシーツが被せられている。形からしてどうやらシーツの下には人間がいるらしい。
緑の髪がはみだしているのがちらりと見えた。しばらく見ているとカーブの所でバランスをわずかに崩し、だらりと腕が垂れ落ち、シーツからはみ出した。
ストレッチャーを押していた係員がいまいましそうに垂れた腕をもとに戻そうとするとシーツがめくれ、中が見えた。シーツの下の人間はさらにシーツにくるまれていた。ただそれは真っ赤に染まっているのだ。
「…9号だよ…行こう、12号」
すぐ後ろを歩いていた博士がじっとストレッチャーを見送った「12号」に言う。
それっきりだった。
昔は、このラボに来る前は「12号」ではなく別の、番号ではない名前があった。アリエータ、という名前。
博士は決してこの名前では呼ばない。知っていても「12号」と呼ぶ。
数日後、彼女はラボを『脱走』した。
■ 正面玄関