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RUN DOWN


 わしら数学者はみんな、ちょっとおかしいんだ。(数学者・ポール=エルデシュ)





 彼自身の専門分野は遺伝子工学…塩基配列デザイナーだった。
 が、彼が言うには「塩基シーケンス待ちの趣味兼暇つぶし」の数理論で。
 数学者達が求めて止まなかった『素数の分布・出現法則』を発見、証明した者、フレデリック。
 『魔法』を現実のものとし、後世『魔法理論の父』『神が手にしている世界の「総て」が記された「ザ・ブック」を読むことを赦された者』あるいは『ギアの親』と呼ばれる彼。
 聖戦の勃発で呪わしい名前として知られるようになる者。


 彼もやはり、「おかし」かった。





 手足の腱を断ち切る。
 念のため、強力な睡眠剤をアルコールと共に呑ませてある。普通に呑ませようとしたら、拘束されているのに彼は激しく抵抗した。仕方なく首を押さえつけて空気を求めて開いた口に口移しで流し込む。
 薬が回り始めた頃を見計らって、右の肘を銃で撃ち抜く。
 ゆるゆると流れ出す血が、コンクリートの床に小さな池を作る。
 薬とアルコールのせいで、普段ならすぐに止まり塞がり始める傷から血が流れ続ける。
「この程度じゃ死なないか」
「…死なないように作ったのはテメェだろうが」
「そうだったね。痛い?」
 無邪気な顔で、何を当たり前の事をこの男は…フレデリックは訊くのだ。
 沈黙していると銃弾が貫通している肘を、踵で踏みにじられた。
 激痛。
 拘束されている身体を捩って、痛みをこらえる。この男の前で悲鳴を上げるのだけは厭だった。


 自分と同じ顔をした男。
 自分の兄で、父でもある。

 ギアの基本素体として、フレデリックは自身のクローンを用いていた。

act-1 
「貴方の協力を…」
「タバコ」
「…は?」
「長話、講釈垂れようってなら聞かせ相手にタバコぐらい出すんだな。
 カフェインが泥並に濃いコーヒーとベンセドリンのセットが欲しいところだが…このカッコじゃタバコがいいとこだ」
 白い拘束服を着せられ、床に固定された椅子に縛り付けられているフレデリックは虚ろな口調で『面会者』に言った。


 フレデリックがおかしくなった


 元もと一日中、目覚めている間は濃いコーヒーとベンセドリンを摂取し、遺伝子配列をデザインしているか「数字遊び」をしている彼だったが。

 素数出現法則を発見して以来。  
 彼は暇を見つけては自分自身を痛めつけるようになった。

「発狂?
 私は飽きたんだ。
 遺伝子配列デザインも、数字遊びも。
 これらの二つは人生という長い暇つぶしには最適だと思っていた。
 だが、遺伝子の方はいずれ私や他の人間が配列を解読し、配列デザインと発現の対応を知り尽くしてしまうだろう。
 私はもう一つの暇つぶしに「数」という無限のモノを撰び、遊ぶ事にした。
 だが、それも素数を知ってしまった事で飽きた。

 だから私は自分自身が壊れていく様を眺めて愉しむ事にした。ただそれだけの事だ」


「自分を傷つけ、壊れていく様を眺める。
 死んでしまったらどうするつもりでした、ドクター?」
 『面会者』は彼に両端切りのタバコを口元に差し出して問うた。
「別に。
 単にこの退屈な世界から私が居無くなるだけだ」
「この病院から、出たいとは?」
「出たいね。出てとっととこんな下らない世界とはオサラバしたい」
 フレデリックは差し出されたタバコを銜えようと口を開いた。
 銜える寸前で、彼の口元から遠い位置にタバコは引き戻される。
「貴方の得意分野でかつ面白い暇つぶしが有れば、ドクターはこの世界に居て下さいますか?」
「…言ってみろ」
「生体戦闘兵器 『ギア』 開発プロジェクト」
 『面会者』が目の前に差し出したプロジェクトの概要が書かれた書類を読む。


 人間に似た形状と近いサイズの、生物。
 単体で高い戦闘能力。
 開発する生体はあくまでも兵器でかつ道具である事を前提とする。
 開発期間は最長で30年とする


「くだらん」
「上記の条件を満たすモノを創り出すためであり外部に情報が漏れなければドクター、貴方は施設内で何を行ってもかまいません」
「…『何を行っても構わない』?各種犯罪、国際法、倫理違反行為は?」
「施設内で有れば総て抹消可能です。人間という生き物は、映像と音声が有れば例えその場に居なくても『起こっている、起こった事』を事実や現実として認識します。同じくらいに映像も音声も遮断されていれば起こっている事を『無い事』として認識する。
 どんな惨たらしい倫理規定違反も無かった事に出来る…アウシュビッツのように」

「私がまた自傷に走る事は?」
「自傷行為に走るのは構いませんが『ギア』が完成するまではうっかり貴方に亡くなられると困ります。
 自傷行為は貴方のクローンに対して行う、ということで妥協して頂きたい」
 再び、タバコが差し出される。
 下らない世界。
 『面会者』の提案。
 暇つぶし。
 世界を、この上無く面白いモノにすることが出来るやも知れない暇つぶし。

「妥協しよう。
『ギア』の品質には妥協しないがな。で、私はいつここから出られる?」


 口唇に差し込まれたタバコに火を点けられる。
「一本、吸い終わる頃には出口を抜けてますよ」

 事実、そのとおりになった。


act-2 
 「ただ予定外だったのは、施設と組織の対応スピードが早いおかげで3年で『ギア』が完成してしまったって事、だな」
 楽しそうにフレデリックは言う。
 誰に向かって言っているのだろう、と床に出来た血だまりに沈んだまま思った。
 ヤツが俺に呑ませたクスリが廻ってるせいか、ノイズが掛かって切れかけている意識。
 同じ顔をした、父親で兄で創造者で虐待者である者を視る。
 観る。
 さっきから彼が話しかけているのは、俺か?
 それとも、フレデリックの後ろで眠っているもう一人の…フレデリックと同じ顔をしている彼のクローン…完成型の『ギア』壱号か?
「もうすぐ、軍の連中がやって来る。
 壱号を取りにね。そして彼らは私を抹消するだろう。もうギアを創れないように」
「テメェが望んでいた事だろうが…このクソくだらない、退屈な世界とオサラバしたいってな」
「そう。
 以前はこの退屈な世界から、人生という暇つぶしからを終わらせるのは死ぬコトだけだと思っていたけど、君たちを創って気が変わった。
 君たちが居ることで人間が、この世界がどんな途をたどるのか、観届けたい。面白い未来にするための仕掛けも君たちにはセットしてある。
 だから私は軍の連中が来る前にここから、この世界から隠れる事にするよ」
「…っザケンな…」
「私が憎いか?プロトタイプ」
「……」
「私の存在を消したいと感じ、願っているか?」
「…ああ」
「強く願え。
 それが『意思』や『意志』というモノだ。私を消したいと願うなら、やってみろ。
 お前には完全で完璧な『道具』として創った壱号には無い『自我』というモノが有る。そして外見だけなら普通の人間としてまかり通れる。
 歳をとらないし、死なないということを除いてな…そろそろ頃合いだ。
 またな。
 壱号、プロトタイプ」
「おい…ひとつだけ教えやがれ…。
 俺は、俺は一体何だ?ギアか?人間か?」

「そんな事ぐらい、自分で極めろ。
 だがお前の額に付けて有る、私とギア素体の区別を付ける為の刻印が有る限り、人々はお前をギアとして観るだろう…」

 出血は止まり、再生が始まっていたが。
 ブチ込まれたカクテルの分解が間に合わない、
 クスリに負けて意識が、沈む。
 遠くから、シャッターを吹っ飛ばす爆発音が聞こえる。鉄板入りの軍用ブーツの発てる重い足音が近づいてくる。
 クソッタレ。




 それからの数年間。
 何があったのか、俺は思い出せない。


act-3 
 時々。
 眼を閉じると、反吐が出るような昔の夢を視る。
 過去の断片。
 クソッタレな事だが、夢を視るのは身体が本当に休息を必要としている時だ。
 そういった時に限って、想い出そうとしても思い出せないが、視た瞬間に悪寒が走るモノを視る。




 塩基配列公式ベクターが入っているシリンジ。
 消毒液の匂いに満ちた清潔で、床に溝が切られている部屋。
 俺と同じ顔、額に刻印を刻まれた、動かなくなっている者。
 焼却炉から流れてくる肉と硫黄の焼ける匂い。
 皮膚に当たる、電極やメスの金属の感触。
 身体に挿し込まれる様々な異物。




 人間が生きていくには食欲、睡眠欲、性欲をある程度満たさなくてはならない。
 ギアは3つの欲を充たす前に破壊欲が優先される。
 殺戮と破壊が。 
 俺は夢も視ない深い眠りに墜ちる為に、ギアどもを壊す。ひたすら壊す。
 俺の同胞(はらから)を壊す。
 ただでさえ疲れている身体が悲鳴を上げるまで壊し続ける。


 そしてようやく、眠りというささやかな安楽が与えられる。


 もう何年、繰り返してきた?
 いつまで続く?
 最低でもヤツを、フレデリックを、創造主を見つけて手に掛けるまで続くのは解っている。
 だが、何時だ?あのキチガイを引き裂き、ヤツが望んだ消去を実行出来るのは?



act-4
 ソルが居ない、という報告が有ったのが夕方。
「日が暮れたら、ギアの行動が活発になる時間帯です。
 団員は民間人避難キャンプの警護強化を優先。
 日没まで彼が戻って来ないようなら、結界を封鎖。明朝まで捜索は待機。騎士団員、全員に通達してください」
 聖騎士団長として、冷徹とも取れる的確な判断を下す。
 これでいい。
 彼を見つけるのは、実は簡単な事なのだから。



 翌朝、日が昇る前に一人でキャンプから出て、ソルを捜しに行く。
 湿った朝の空気。
 草原の青草と花の香りに交じった血の匂いを辿る。
 案の定、新しい血の匂いの源に、ソルは居た。
 仰向けに横たわったソルの周囲には数体のギアだったモノ。
 ソル自身は軽傷で済んでいる。そのうえ…
「貴方って人は…こんな場所で、よく眠れますね」
「…なんだ、坊やか」
「キャンプの外で休むなら、結界くらい張って下さい」
「そんなもん敷いたらギアが襲いに来ない」
「自分を餌にギア狩りですか?
 いくら貴方が強いとしても、それは傲慢というもの。
 こんなことを繰り返していればいつか死にますよ」
「かもな」
「何故、こんな事を…?」
「殺し合いを愉しむためだ、と答えれば坊やは納得するか」
「冗談はいい加減にしてください。殺し合いを愉しむなんて、まるで…」


 ギア


 勢いで出かかった言葉を抑え込む。
 まさか。
 わたしの動揺を見透かすように、仰向けになったまま、まっすぐに彼の視線がわたしを射抜く。
 外見とは裏腹な、酷く年老い、疲れた色の眼が。
「お小言は終いか、坊や」
「小言って、ソル、わたしは…」
「もうひと眠り、させろ。
 いい具合に眠れそうなんだ」


 それだけ言うと、彼は本当に眠ってしまった。



 正面玄関