Click here to visit our sponsor

1=1
1→1

※ 28を踏んでから入ってきてください ※ 









 消毒薬の匂いがする。

 血の鉄錆、肉が膿み腐る臭いをかき消さん勢いの濃い、匂いが。
 首には薄くて冷たい感触。
 耳に鉄が僅かに軋む音が幽かに届いた。

 寒い。

 口の中が乾ききっている。
 どうやら俺はまだ生きているらしい。左腕の・・・上腕にショットガンを圧し当てて、トリガーを引いたのに、身体はイヤになるくらい頑丈だった。
 とにもかくにも。何がどうなっているのか知ろうと眼を開けるのには努力が必要だった。あるいは強い、意思の力が。
 身体に、力が入らない。全体が痺れを感じるほどに冷え切っていて、眠りに誘われる。眠ってしまいたかった。
 薄く開きかけた眼を再び閉じると首に在った冷たい感触が小さくて鋭い痛みに替わった。
 解ったよ、目ぇ開ければ良いんだろ・・・。

「・・・・・・ユイ?」
  薄暗い部屋で白い
「・・・何してんだ・・・?」
  無表情で見下ろしてくる見知った顔が
「・・・何で、俺の上にいるんだ・・・」
  つや消しされた黒の戦闘服で体重を架けないように横たわった俺の身体に跨っているユイの身体がビクリと震えた。

 だがそれだけで、彼女は何も言わず、何の感情も無い目で睨み付けるわけでもなくただ俺を見下ろしているだけでまばたきさえもしない。
 一体どうしたらいいのか、彼女が何をしたいのか。
 普通だったら暗い部屋で・・・どうやら二人きり、ベッドの上で女・・・しかも若くて綺麗なの・・・を乗せてする事と言ったら一つなんだろうが・・・彼女の右手。

 右手に抜き身ナイフを握ってるという状態は。

「・・・ユイ、俺を殺したいのか・・・?」
 首に当てられていたナイフの切っ先が食い込んで血が流れているのか、それとも冷や汗なのか。

 首に滴が流れる。小さな濡れた感触が滑り落ちていく。


 質問には答えず、冷たいくらいに無表情なままユイは切っ先を首から左肩へと、苛立ちを覚える程の緩慢さで動かす。
 つられて目先を動かす。視線だけだ。身体を僅かでも動かしたら、表情も変えず、瞬きもせずに彼女は俺を殺すだろうと。
 怠い頭で思った。
 切っ先が当てられた左肩。
 暗い部屋の中でも白いと判る包帯だのガーゼで固められたその先。
 ショットガンで吹っ飛ばした筈の、左腕が在った。

 どういうことだ?
 指先なんかの感覚は全く無い。

「ジェサイア」

 無表情で、感情も無く、瞬きもしない眼。声も平坦な状態でユイが言い下す。
「ジェサイア、わたしは貴方が憎い。
 今此処で、このまま切り刻んで殺したい程憎い。
 ・・・貴方の左腕・・・
 左腕の中に埋められていたマシン・・・スイッチのせいで、何人死んだことか。
 シェバトのゲートシステムが滅茶苦茶になったおかげで・・・侵入したゲブラーの、守護天使が何をしていったのか・・・。

 見せたかった。
 本当に、見せたかった。

 貴方の住んでいた国が、組織が地上やシェバトで何をしているのかを」

 託宣を受けた巫女のように淡々とユイは話し、言葉を切った。
 沈黙。
 麻酔か何かの薬・・・あるいは血が足りないのか。霞がかかったような怠い頭で寒いと感じた。
 部屋の気温も低いのだろうが、部屋の空気そのものが硬くて冷たい。

 さっきから上に居るユイが湛えている、彼女の怒り、憎しみ、憤り、苛立ち。
 それらを解放し、衝動に身を委ねてしまえばいっときでも楽になれる、熱ささえ感じられそうなそれらの激情を抑え込んでいる彼女の意志は。
 強固で張り詰めた意志を持つ者のまとう空気は何て・・・冷たいのだろう。
 だが本人が押し殺し抑えても垣間見えるのは怒りと憎しみの更に奥から、微かに感じられるのは哀しみだった。
 喪ってしまったものへの哀しみと虚無。硬い

 喪失感。

 そうだ、彼女は・・・
 俺やユーゲントの連中よりも殆どの訓練時間を実戦で訓練を受けてクリアーした工作員で・・・
 ソラリスにいたら、カールのヤツがエレメンツに引き抜きをかけたに違いない技量と・・・おまけに器量も良くて・・・
 確かに、強い・・・が・・・
 いくら強くても結局のところ・・・

 まだ10代の子供だったんだ・・・

 地上に降りて、彼女やジョシュアの監視・・・ソラリスのように『保護』だのとキレイゴトな言葉や消毒用語を彼らは好まない。
 どうしようもない場合にしか使わない。
 薔薇は名前を変えようが美しく香りる事実が変わる訳ではないからと彼らは言う・・・を受けながら地上を引きずり回され、ゲブラー時代に身体に埋められたマシン群の為に話したい情報を決して口に出来ないため「本気で俺達の方に降る気なら、態度で示せ」と。
 ジョシュアとユイの監視付きであらゆる種類の実戦に出た。

 地上におけるソラリスの活動や介入、干渉の妨害。
 特に地上人狩りの阻止、拉致されていく人々の奪回。
 それらの実戦を貧弱な、玩具のような装備と道具を使って散発的で時には絶望的な情況でも決して諦めること無く。
 ゲブラーの工作局所属の実行部や特殊機関の教会の活動を妨害する様を眼にし、行動を共にし、他の工作員たちと一歩もひけを取らない。仲間を助ける事は有っても負担になることは決して無い、ユイ。

 哀しみという彼女の弱い部分が。
 普段は決して見せなかったからこそ。際だった違和感として浮き上がっていた。

 おかしなものだ、と自分でも思う。
 身体は殆ど動かず、ナイフを圧し当てられていて、自分の命が完全に彼女の手の内にあるのに。

 恐怖は感じない。
 逃げたいとも思わない。
 彼女に殺されても仕方のないだけの原因。
 自分では知らなかったとはいえ・・・確かに自分が原因となったのだから、と。
 罰を受けるのは仕方の無いことで、彼女には罰を下す・・・怒りと憎悪を、俺にぶつける充分な理由が有る。

 それでも。
 どうしても、訊かずに居れないことが有って。
 耐え難いと感じる程の硬い、永遠にも感じられる沈黙を、俺の方から破った。

「ユイ、この左腕は、誰の左腕だ?」

 俺の左腕は自分で吹っ飛ばして無くなった。
 痛いというよりもただひたすら熱く、グシャグシャの肉塊のようになった左腕が床に落ちる鈍い音を、確かに自分で聞いた。この眼で見た。
 幻?まさか。

「あなたの左腕よ」
 暗闇の中に浮かぶ薄青く見えるほどに白い彼女の顔の、唇が歪んだ。
 笑顔。
 でも眼は、相変わらず無感情なまでに昏くて無感情な闇が満ちている。
 作られた冷たい笑顔でも、元の造作が美しい故に。

 ユイの笑顔は凄絶で、凄艶だった。
 戦慄を覚えずにいられない程に。
 凍り付くような笑顔を浮かべたまま、続けた。
「今は・・・ね」と。

 かつては誰か、別の者の物だったのだろうか。
 これから誰か、別の者の物になるのだろうか。

 訊きたい事。だが、決して訊いてはいけないし口にしてはいけないと、判った。
 多分、すぐに解ることだから。

「そう、今は・・・ジェサイアの左腕」
 瞬きさえしない眼で、歌うように囁きながら。
 手にしたナイフで話したい立てる事無く、左腕を掠る。

 何度も、繰り返し。
 一体どんな形の左腕なのかを。
 仰向けのまま押さえつけられ、自分の指先を見ることも腕を動かして見る事も赦されない、オレに識らせるように。
 冷たくて薄い刃で、苛立ちを覚える程、緩慢なスピードで、ゆっくりとなぞる。

 骨太の、節くれ立った指。
 鍛えられた、というよりも使い込まれた二の腕。
 左腕全体が纏っている筋肉はは短い期間の鍛錬で付く筋肉ではなく、常に使い込まれている、硬いがしなやかに動く種類の物。
 手首から肘にかけて走っている傷痕。

「相手が小回りの利く『払って切り裂く』ってのも出来るが『力任せに突く』得物・・・ナイフやドスの類だな・・・で本気で襲う時、大抵のヤツは一撃でキメようと心臓のあたりを狙う。
 相手の、特にシロートは特にビビッてたり何だかんだで、アツくなってる。銃と違って、ナイフはターゲットとの距離が無ぇから、度胸とか思い切りが必要だしな。
 だから、そういったテッペンがアツくなってて手のつけられないようなヤツが向かって来たら何はともあれ、左腕で心臓の有るあたりをカバーしろ。
 これが絶対だ。
 腕を刺されたら手を親指を内側に握り込め。腕の筋肉を収縮させて、相手の得物が抜けないようにして、トドメ刺しを防ぐ。
 空いてる方の手で相手に反撃かけろ」

 アルコール度数だけが高い安酒を、水代わりに飲むせいで掠れた声が。

「本名は絶対に呼ぶな。
 テメェの居た、『上の上』と違ってこっちは豪勢な装備だのバックアップは無いに等しいからな。生き残りたければ、いくら馬鹿馬鹿しくても予防策を怠るな。
 ルールは守れ」

 何度も聞いた声が、聴こえた。諭すような命令。
 誰の左腕なのか、判った。
 判ってしまったし、「傷を負うのは痛いが、命を落っことすよりはましだろ」と言いながら見せた左腕の傷。

 左腕の、本来の持ち主が。

 本名を呼ぶなという『ルール』を破ったのは、アンタじゃないかと文句の一つでも言ってやりたかった。



 常に監視するため俺に張り付いていたジョシュアとユイ。二人のうちこの部屋に居るのはユイだけ、ということ。
「殺したいほど憎い」と言ったユイ。
 俺の命を、どうとでも出来る位置・・・固いベッドの上に仰向けで横たわっている俺を見下ろす位置・・・に居て、ナイフを突き付けていながら憎しみを抑制している。
 抑制している『モノ』の正体。

 哀しみ、怖れ。微かだからこそかえって際立つ、彼女の内にある弱さ。
 大人のように、大人と肩を並べ、負担とならないようにしてきた子供。
 とめどもない思考が試行され様々な指向へ向かう。
 一瞬、先刻からずっとまるで大切な物に触れるように俺に付けられている左腕をナイフで触れている彼女と眼が逢った。
 瞬きをしない眼が、乾きすぎたせいなのか、濡れていた。泣いていたのだと、思いたかった。


 そう、子供なら。


 泣きたい時は素直に泣けばいい。
 泣くのが出来ない大人ならば、怒りの原因に感情をぶつければいい。
 どんな形であれ。
 俺は眼を閉じた。
 原因は、俺だ。俺の物だった左腕に埋め込まれていた小さなマシンがシェバトを滅茶苦茶にした。
 何人も死んだ。
 ユイの国の者、親しかった者達が死んだ。
 俺は眼を閉じたまま、待ち続けた。
 まだ麻酔や何かの薬が効いている事を祈りながら待った。

 やがて。

 暗闇の中で、俺の身体に掛かる彼女の重さと圧し当てられたナイフの冷たさを感じた。



■正面玄関