Click here to visit our sponsor

33=3*11
33→1.3.11.33

らずりさんに転載・加工許可発行済み※






暗闇は平気だった。
水音も何ともない。

だが、暗闇に響く水音には、何故か怖れと不安を呼び起こされた。
何故なのか。 理由の分からない恐怖が。





(白い幕の引かれた舞台。
 幕に烏の影絵が舞っている。
 舞台の左袖からゆったりとした長衣を身につけた語り手の女が出てくる。女にスポットライトが当たる)

 みなさま。
 ようこそ、お越し下さいました。
 これから御覧いただくのはラテン語のオペラ『エディプス王』。
 ソポクレスの悲劇が元になっておりますが、その様々な場面のうち、要<かなめ>となる幾つかをえがき出した物でございます。 事の進み行きにつれて、私が皆様を物語の世界へお連れいたします。

 エディプスは、それと知らぬまま自然を越えた大いなる力に刃向かう。

 死の彼方から我々を見守る眠りを知らぬ神々に、この世に生まれ落ちたその時に罠は仕掛けられた。まず、みなさまが目の当たりになさるのは、エディプスがその罠にはまる様。

 さあ、
 ドラマの幕は切って落とされます。

 テーバイの街は危機に瀕している。スフィンクスは倒れたが、その後疫病が蔓延しコロス(人々)はエディプスに街を救うよう嘆願する。

 彼は、街の救済を約束します。






 語り手の女が手にしていた長剣を鞘から引き抜き、白い幕を下から上へと切り裂く動作と同時に幕が開く。
 開いた瞬間、観客が一斉に息を飲む音がしたように感じた。
 舞台の上には更に舞台が組まれている。鉄骨と木材がゆるいカーブを描き、組み合わされた巨大で壮麗な装置。抑え込まれた照明。

 装置の上では褐色の、泥塊のように皮膚のただれた化粧を施した演者が作り物の凶鳥を掲げ持ち、舞わせている。泥塊のような人間。疫病でただれた人間は鉄骨の舞台と元来の舞台の隙間にも転がっている。手が悶え、苦しんで空を掻いているがその手はピクリとも動かないのが、鉄骨の舞台を透かして見える。

 既視感。

 視た覚えのある光景だと彼は感じた。
 そう、以前から、そして最近は頻繁に夢に見る・・・

「廃棄処分場にそっくりだとは思わないか」
 隣の椅子に座っている男が囁くように言った。
 まるで自分の心を見透されたような言葉に、ラムサスは凍り付いた。極力、表情には出さないようにする。






 オペラのチケット。
 それも、ボックスシート。
 『カーラン・ラムサス様へ』とだけ書かれた白い封筒に入っていたのはそれだけだった。差出人の名前も書かれていない。
「せっかくですから、行ってみたらどうです」
 ゲブラーの集合メールボックスの前で、あまりにもそぐわない物を手に立ちつくすラムサスの背後から、気配も感じさせず背後からラムサスの手元をのぞき込んでヒュウガは言った。
 振り返る事もせずに、背後の人物に訊いた。
「ヒュウガ、お前が送って来たのか?」
「まさか。私がそんな高いチケットを手に入れる余裕が有るように見えますか」
「どうだか、な・・・」
 ユーゲントにいた頃からドラッグデザイン・・・分子構造レベルからの薬物の構成・製造・・・が得意で色々作っていたヒュウガの事だ。『余裕が無い』という言葉を額面通り受け取るのはどうか、と思う。
 だが確かに、新任士官の給料程度では手が出せる代物では無い。
「貴方の落ち込みっぷりに気付いている誰か、とか」
「落ち込んでいる?誰が?」
「シグルドが居なくなってからの貴方は・・・」
「ヒュウガ」
「違ったのですか。失礼。あとは・・・ジェサイア先輩ですか。でもあの人ならわざわざメールボックスに入れるなどというまだるっこしい事はせず直に渡すでしょう」


「・・・俺が誰かに何かを送るってなら、好きなヤツにはオペラのチケットよりも上等の酒だろが」
 憎ったらしい野郎にはピン抜いたハンドグレネードだが、と付け加える。
 ラムサスが念のため、ジェサイアに封筒の事を尋ねると彼は呆れたようにそう答えた。
「第一、封筒にチケットだけで匿名。そんな嫌みったらしい事、俺がするか」
 貸してみせろ、と奪ったチケットを封筒に戻し、指で弾く。
 弾かれた封筒が広い執務机の上を滑り、ラムサスの手に収まった。
「で、どうする」
「どうする、とは?」
「上演は今夜だ。
 観に行く、ってならオメエの分、勤務シフト調整するぜ」

 ジェサイアにもそうと分かるほどラムサスは逡巡していた。
 ただでさえシグルドが居なくなってからのラムサスは取り憑かれたように過分な仕事を自身に課している。
 何も考えずにいられるようにする為に、緊張した状態に身を置くようにしているのは明らかだった。まるで張りつめた楽器の弦のように。

 張りつめたままの弦は極上の音を生み出す反面、切れやすい。
 弦を弛めるのに、このチケットは丁度いい口実になるかもな・・・。 

「最近イロイロとゴタついていたようだからな。少しぐらい休むなり楽しむなりしろ。管理責任者としての『命令』だ」
 ラムサスが答えるよりも早くジェサイアの手が動く。モニターに今日の勤務表が呼び出され、あっというまに書き換えられていった。





(舞台の照明が落とされ、語り手にスポットライトが当てられる)
 エディプスは豪語する。
「悪の力を手なづけてみせよう。
 かつてスフィンクスの謎を解いた身だ。
 必ず殺害者を見つけ出し、テーバイの地から追放する!」




 別に無視を決め込んでしまっても良かったはずなのだ。だが、ラムサスの足は劇場に向かっていた。
 招待主の正体。真意が知りたかった。
 手触りの良い極上の紙の封筒、肉筆の宛名、一枚しか入っていないチケット。

『正体が知りたければ、謎を解きたければ一人で来い』と言わんばかりの思わせぶりな演出。
 あるいは、挑戦されているとも。
 無視するのは簡単だが、逃げるのは性に合わなかった。どのみち、招待主の手がかりはここにしかない。
 開け放たれたドアをくぐる。
 人々のさざめきがロビーを満たしていた。ベルベット、シフォン、タフタ、サテン、高価な天然素材をふんだんに用いた色とりどりの服をまとった女たち。そこここに飾られた本物の花。
 華やかな色合いの中でゲブラーの制服は目立つ事この上ない。
 値踏みをする、短い一瞥がラムサスに集まる。
「失礼ですが、招待状はお持ちでしょうか?」
 丁寧な口調で劇場の受付が尋ねる。劇場側の人間にとっては、ゲブラーや各官庁の要人が観劇に来るのは別に珍しい事ではない。制服で来る事も。ただ、階級章が将校以下の者が制服で来る時というのは劇場のセキュリティに何か問題が出た時か誰かのガードかメッセンジャーとして来た時だ。

 今までは。

『訓練を受けた者特有の無駄の無い、美しいとさえ言える立ち居振る舞い。人目を惹くが、どこか硬質な整った容貌の若い士官』・・・どうせ誰かのガードだろう、と短い観察と分析で予想し、目の前にいるラムサスの手から無言で差し出された封筒を受付の人間は受け取る。流れるような動きでチケットを取り出す手が、途中で止まった。
「何か?」
 チケットとラムサスの顔を交互に凝視する受付の人間にラムサスは問う。心なしか、受付の人間は顔色が青ざめているように見えた。
「・・・失礼いたしました。3階のボックスシート・・・です。正面階段からどうぞ」
 半券とプログラムが渡される。
 足音を吸い込むように敷かれた毛足の深い絨毯を踏みしめて階段を上る間。なにげに受付とのやりとりを視ていたのか、一層激しく突き刺さる周囲からの品定めをする視線。
 武器の無い戦場。   
 別にどうという程のものではない。平静なまま、落ち着いた足取りで階段を登るとロビーとはうって変わったように人気のない3階に足を踏み入れる。ボックスシートしか無いフロアに。
 チケットに表記されていたナンバーのボックスシートには先客が居た。
 ビロード張りのゆったりとした椅子の背もたれに隠れて肘掛けに置かれた手しか見えない。
 ホールには人々の低いざわめきと調弦の音が満たされている。
 入り口から椅子の側に、影が伸びる。
「・・・もうじき開演だ。チケットを持っていながら、立ち見する気か?」
 聞き覚えのある声。いや、聞き覚えがある、などという物では無く。
 命令することに慣れた、自然で、決して逆らえない声。
 その声の主。
「カレルレン・・・」
 ラムサスの掠れた声は開幕を知らせる拍手にかき消された。






 『廃棄処分場にそっくりだとは思わないか』。
 先刻、カレルレンは、確かにそう言った。





 目の前でフラッシュが焚かれた時の様に、視界が暗くハレーションを起こしている。
 暗闇に響く水音。悲鳴。
 廃棄処分場。
 自分はあそこから救助された。ダストシュートで誰か(誰だ?)とふざけあっていて中へ滑り落ちた。
 今では殆ど忘れている記憶。封印した記憶。

 水音。
 粘つき、絡み付く水。
 水がかき回され、とよむ音。

 気持ちが良くて、危険な・・・たゆとう音。
 危険だ。
 だが、何が危険だというのだ?

 不安。


 舞台では柔らかな布で出来たゆったりとした衣装を身につけた女性が歌っている。
『神託に注意せよ。
神託は常に偽りを言う。
神託に真実は無いのです。ここを立ち去りましょう』と。旧い言葉で謡っている。
 高く結い上げられた髪と髪をまとめる簪の金が光度を落とされた照明の中で煌めく。

 劇の内容は見てはいるし、聞いてはいるのにラムサスの中を素通りしていく。
 先刻の一言以来、カレルレンは口を開かない。
 彼の言葉通りだったし、自分でもそう感じていた。


 疫病に穢れ、腐食しつつある街。


 舞台の造りはソラリスの廃棄処分場に酷似している。

(語り手に再びスポットライトが当てられる)
 嗚呼、堂々たる明敏な王エディプス。
 いまや罠に掛かった!
 何一つ知らないのはエディプスただ一人!

 と、突然真実の閃光が彼を貫く。
 エディプスはおちる!
 真っ逆さまに堕ちる!

 暗闇に水音が響いた。何かが落ちる音。
 最近、頻繁に見るようになった夢。
 粘つく水と堆積した汚泥。廃棄処分場では空気までもが粘ついていた。バチルスに分解されていく死物の間で。
 自分には這いずるための『手足』、助けを求め悲鳴を上げる『口』も無かった。
 あるのはただ、死にたくないという凄まじい生への執着。

(コレハ夢ダ)
 強烈な想いだけを発して汚水の中を漂う醜く、惨めで、弱々しい肉塊。

(アレハ何ダ? )
 培養、人工羊水、棄てられたモノ、失敗作・・・。
 語り手の詞がきっかけで解かれた、堅く封印されていた記憶・・・。


『三叉路で、三叉路で、三叉路で・・・』
 舞台の人々が低く囁く声が、歪む。

『廃棄処理場で、廃棄処理場で、廃棄処理場で・・・』と。
 暗闇の中を出口を求め、汚水をかき分け手探りで彷徨い歩く少年・・・。不安に彩られた、数年前の自分の顔が・・・。
 何があった?
 二重の記憶、二重の視点・・・。



「・・・今から丁度、4年前に『カーラン・ラムサス』と名乗る一人の少年が廃棄処分場で保護された」
 彼は、カレルレンは何を言うつもりだ?
 ラムサスの中で警鐘が鳴る。

(聴イテハイケナイ)
(真実ヲ!!ドチラノ記憶ガ『本物』ダ?)

「少年と一緒に近くに落ちていた切り取られたばかりの人間の心臓が回収された。
遺伝子コードは回収された彼と全く同じ。ならば彼は心臓無しで生きているのか、というとそういったわけでも無い。

・・・いいかげん、自己欺瞞はやめて、思い出したらどうだ?
『識別コード・0808191-ラメセス』」

 廃棄処理場。
 落ちた者と堕とされた者。
 暗闇と水音。
 悲鳴と悲鳴。
 此処から出たい、死にたくない、生きたい。
 二つの、一人と一体の、共通。共振。共鳴。
 汚水と汚泥と蒸し暑く、べっとりと粘つく空気の中で。

 抉り取られた心臓。
 抉り取った心臓。

 暗闇に響く、粘ついた水音。
 自分の心臓が汚水に落ちる水音を、『彼』は・・・本来のこの身体の持ち主は聞いただろうか?

 恐らく『彼』がこの世で聴いた最期の音を。
 恐らく『ラムサス』がこの世で聴いた最初の音を。
 心臓が入っていたそこは暖かかった。切り裂き、心臓を取り除き、侵入した傷口を急いで中から塞ぐ。中にも外にも余計な血が零れないように・・・。
 リアルな、夜毎に見る悪夢。


 『悪夢』は『夢(偽り)』ではなく、抑圧された記憶の再生。
 『彼』の悲鳴が、中で響いていた。

「『ラメセス』・・・何の事か分かりませんが・・・?」
 自分でもそうと分かる程、掠れ、震える声。
 不安と怖れ。
 怖れの籠もったラムサスの言葉に対し、カレルレンは対照的な程に平静な声で問い返した。 
「ならば問うが、父親の顔、母親の名前、幼い頃住んでいた家の風景・・・どれか一つでも覚えている事が有るか」
 廃棄処理場以前の記憶・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・空白だった。
 ただ。
 柔らかい水、人工羊水を通して歌うような女の声がする。

『棄ててしまいましょう。必要無いわ』と。
 舞台の、オペラの、旧い言葉ではなく、ソラリス語で言う声が。


 不安の塊がのどもとをつきあげるのを感じた。手が、血の気が無く寒い。だが、この『感覚』は、感情は、誰のモノだ?自分のモノなのか?そもそも自分は、今の自分は・・・『カーラン・ラムサス』とは何だ?人間の、人間の形をした肉の服をまとった・・・人間のフリをした化け物?
 悪寒。手足だけでなく身体全体が冷たい。冷たい汗が、背中と椅子に張り付いている。


 何故『創った』?
 何故『棄てた』?
 何故『喚んだ』?
 何故『教えた』?
 何故『視せた』?

「・・・目的は何だ?」
 たくさんの『何故』がこもった問い。 
 カレルレンはラムサスの問いには答えない。柔らかい、どこか女性的な顔に。整いすぎたあまり、作り物じみた笑顔を浮かべたまま。沈黙したまま答えない。
 かわりに舞台を目線で指し示した。

 

Natus sum quo nefastum est, (神の掟の許されぬモノから生まれ)
concubui cui nefastum est, (許されぬ者と交わり)
cecidi quem nefastum est. (許されぬ者を殺めた)

Lux facta est! (全ては明らかになった!)

 舞台の照明が落とされる。暗闇の中でファンファーレが鳴り響き、舞台・左袖の語り手にスポットライトがあてられる。うっすらと見える舞台と、そこに作られた巨大な鉄骨と木材の装置。最初は壮麗に見えた装置が、今は照明の為か酷くグロテスクな物に見える。
 壮麗な外観とは裏腹に、疫病に侵され内部から退廃していくテーバイの街。街から追放される、荒廃の要因・・・エディプス王。METAPHER。


「別にこのオペラのようにキサマの正体を公衆に晒してソラリスから追放するつもりは無い。ただ・・・」
 平坦で無機質な、感情の籠もらない声。
「自分が誰のモノでどんなモノなのか忘れていたようだったからな」
「俺は『モノ』じゃ、ない・・・っ」
 舌の根が引きつる。
 カレルレンが、創造主が嗤った。

「キサマはモノでさえなかったな。
 上演中は静かにしろ。せいぜい楽しむがいい。もう残りは少ないが」


 舞台の上では雨が降り、疫病に穢れた街を洗い清めていく。
 水音とともに、ゆっくりと。
 やがてうねりのように激しい拍手が沸き上がった。


 劇が終わり、カレルレンが立ち去り、観客の殆どが帰った後。
 ラムサスはのろのろと劇場を出た。酷く・・・身体が重い。

「よぉ」
 声をかけられて視線を上げた先には半ば強制的に夜時間の勤務を消した、ラムサスの管理責任者がいた。どうして此処にいる、と問いかけるのを。  
「通りかかっただけだ」と先制された。
 足下には煙草の吸い殻が散乱している。明らかな嘘。
 それが可笑しくて笑い顔を作ろうとしたが、上手くいかなかった。
「オイオイ、何泣きそうなツラしてんだよ・・・そんなに酷い芝居だったのか?」
「違う・・・」

 何もかもが。

 





続く→ 66

■ 正面玄関