51=51
51→1.51
※ 96経由で来る事を推奨 ※
自分でも可笑しくなるくらい、平静な声で話していた。
「・・・ラケルか?オレだ。今日は帰りが遅くなる・・・だから先に休んでいてくれ」
『そう・・・
ジェシー』
「何だ」
『無理しないで』
朝も聞いたセリフだ、とふと思った。
そう、無理な事じゃない。無理な事じゃなかった。ただ、慣れていなかっただけだ。
内監の、スタインのオフィス。定刻を過ぎたせいか、入り口に控えている秘書官はいなかった。
銀色のドアの前で暫し、ジェシーは逡巡していた。
これから。これからこのドアの向こうで起こるであろう事。自分がしようとしている行為。妻の・・・ラケルやビリー、家族と言っても過言ではないシグルド、ヒュウガ、ラムサス。
大切な、者。
彼らが知ったら?
冷静に。自分が静謐な状態で有ることを確かめるように、ジェシーは僅かな時間、目を閉じる。静かだった。周囲には人間の気配も無い。ゆっくりと目を開いて、インターフォンを押す。
「お待ちしてました」
照明の落とされたオフィスの、正面から声がする。
足を踏み入れ、ドアが閉じ、ロックが掛かったと同時に。光が投げかけられた。
あまりの眩しさに、手をかざして正面の目を暗がりに、スタインのいる辺りに慣らそうとした。
執務机に寄り掛かるように立っているスタインの傍らの光源。
(・・・っ?映写機?)
「なかなか良く撮れていると思いませんか?」
スクリーン代わりに自分とドアに投影されている映像。振り返った先に、苦痛に耐えるようにかたく目を閉じ、背が跳ねる度に髪を振り乱す自分の顔が。
音は無かった。
「・・・悪趣味の極みだな」
「全くです。こんな物は所詮『まがい物』・・・代用品ですよ。『本物』には及びません」
沈黙。
「・・・それで?」
「『それで?』、ね・・・ジェサイア、あなたという人は本当に面白い人間ですよ。
こんな状況で『それで?』なんて。随分と強気ですが・・・わたしは無理強いは好きではないのですよ。あなたがわたしから『何か』を・・・このディスクや『沈黙』が欲しいなら、少しはわたしの意を汲んで行動してくれませんか」
唯一つの光・・・投影される映像の中で佇むジェシーの顔が、スタインの言葉にか、それとも眩しさのためか、僅かにしかめられた。
「わたしが欲しいものはとっくに通知済みですし」
勝ち誇ったような、笑顔。
無理な事じゃない。
ただ感情を、暫くの間だけ麻痺させていればいいだけの事だ。
何も感じず、何も考えず、機械のように『作業』に徹すればいい。
そう言い聞かせると正面の、スタインの寄り掛かっている執務机に向かって足を運ぶ。
「止まって。いきなり撃たれてはたまりませんから・・・銃をそこで置いて下さい。サイドアーム(予備)も、全部、ゆっくり」
(お見通しってワケか)
イヤな事は先延ばしにするようにという望みのため、か本当にゆっくりと武器を外していく。
「・・・ハンドガンが4挺とは・・・ジェサイア、あなたって人は戦争でも始めるつもりですか?」
子供のささやかなで他愛の無い悪戯を咎める、優しげとも言えそうな口調で。
「手は後ろに」
「・・・無理強いは嫌いだの意を汲んで行動しろだのと言った割には随分と注文が多いな」
「用心のためですよ。あなたの手癖の『悪さ』は有名ですから」
「手が使えないと不自由だぞ」
「手が使えなくても、出来る事は有るでしょう?」
手が使えなくても出来ること・・・?
考えを巡らせて、思い当たった事に、呟きが漏れる。
「・・・っの下司野郎が・・・」
「聞こえてますよ。正確には『悪趣味極まりない下司野郎』です。それでも・・・わたしに対する憎悪や嫌悪の表情も含めて・・・ジェサイア、貴方をわたし一人だけのものにできるなら下司野郎になり下がる価値は有ります」
無理な事じゃない。
呪文のように何度も唱えた言葉を。
再び言い聞かせ、ジェシーはスタインの前にひざまずいた。
スタインはジェサイアの頭が律動し、髪がゆっくりと踊る様を見下ろしていた。
手を使うことを制限したためか。
あるいはただ単に、慣れていないためか。
露骨な羞恥と嫌悪。戸惑いが籠もった、稚拙で不器用な動き。
それらの動きに伴って昂められていく自分自身とは裏腹に。スタインは征服欲を満たす充足感や達成感とは全く別の感情…虚しさが拡がりつつある事に戸惑い、苛立ちを覚えていた。
コノ『虚無感』ト『違和感』ハ、一体何ダ?
身体が熱くなるにつれて、ますます苛立ちが募り意識は冷えていく。
冷えた意識が。
半ば自動的に『分析』を始める。
現在の状況、ジェサイアとの関係は標準的な人間の規範から外れている。異常な事は確かだが、自分の意志でそうなるように…希み、願い、欲し、ジェサイアの選択肢を削り、こうなる様に仕向けた。自分は正気だ。自分の正気を疑う必要は無い。
そう、総ては自分の思惑どうりに進んでいる。
それが面白くない。手応えが無いのだ。
あまりにも巧く行き過ぎている。
当人は「そのつもりは無い」と明言しているにもかかわらず、周囲から次期ゲブラー総司令候補と言われる程のカリスマ。大胆で強固な意志と行動力、実績を積み上げている男が。
今、自分の足元で膝を屈して言いなりになっているという現実が。
あまりにも巧く行き過ぎている気がしてならない。
自分はジェサイアを罠に落としたつもりで…逆にはめられつつあるのでは、という気がする。
決して油断してはならない。
今は大人しく自分の言いなりになっていても、相手は野生の肉食獣のような男なのだ。一瞬でも気を抜き、快楽に身を預ければ溺れる。
それでも。
時々、悪寒のような感覚が背筋を駆け上がって行く。
ジェサイアが決して、巧みというわけではない。
ただ、勘の鋭さ故に。
スタインからの些細な反応…執務机の縁に掛けた指の強ばりかたや膝の震え…それらから感じやすい部分を読み取っていく。
読み取った部分を中心に、あるいはわざと外して。
休む事無く時間をかけ、執拗な程に、奥まで吸い込み、舌を絡め、時に歯を立てる。飲み込みの速さには舌を巻く思いだった。
スタインは改めて、ジェサイアを観察する。
きつく眉根が寄せられ、汗で髪が額に張り付き、嫌悪と後ろめたさでか伏し目ぎみの瞳を縁取るプラチナの睫が震え、任務の現場で適切な判断を下し命令を発する口唇が淫猥で濡れた音を発する様は。
普段のジェサイアを知っているほど扇情的に映った。
観察者の、上から注がれるどこか醒めた視線に気づいてか。
あるいはスタインの終局が近いのを感じ取ってか。
ジェサイアの動きが凍りついた。
逡巡するかのように、見上げて来た。視線が合ったのはほんの一瞬だった。
一瞬で充分だった。
ジェサイアはスタインの変化を感じ、身を引いて間合いを取ろうとした。
スタインは咄嗟に逃げようとするジェサイアの頭を押さえつけ、自ら動作した。力任せに突き上げ、爆ぜた。
タイミングを合わせられなかったジェサイアが噎せる。
ほんの一瞬、凍り付いたように動きを止めたジェサイアに焦れたから、ではない。焦れよりもむしろ、怒りのままに。
一瞬合った、アイスブルーの眼。
憎悪でも服従でも無い、全く別の感情が浮かんでいた眼。
先刻からの苛立ちと違和感の本当の原因を見いだし悟った刹那、冷たい怒りを抑えきれなかった。
ジェサイアと同じ眼を何度か・・・ソラリスよりも地上で良く見た。特に『教会』では頻繁に。
教会の前に置き去りにされた子供。
「ボクが捨てられたってコト?しってます、司祭さま。
でもボクが家からいなくなればボクの分のパンがまだ小さい妹や弟がたべられるでしょう?『くちべらし』っていうやつでしたっけ?だからしかたないけど」
異教の、神々に捧げられる生け贄として殺される『その日』のためにだけ大切にされ、育てられた乙女たち。
「死?でも私はそのためにいるのでしょう?でも私の血でみんなが、私を大事にしてくれた人たちのためになるなら・・・」
笑顔。
己を犠牲にしてでも。
大事な者を守る、自己犠牲者たちに共通した眼。澄んだ、いっそ清々しいとさえ言える眼。誇らしさと諦めと一抹の寂しさが籠もった眼が。
アイスブルーの中に浮かんでいた。
彼はまだ『堕ちて』いない。
それだけでなく、彼にとって大事な者たちを守るため、必要となれば彼はどんな事でもするだろう。
そうと相手に悟らせない程度の・・・積極性を隠して。
面白くもなく、手応えもなく、虚しく、苛立つわけだ。
同じステージにいると思っていた相手は実の所、ステージの僅かに上の位置から同じステージで演技をするフリをしていて・・・実際動いていたのは自分ひとりだけだったのだから。
ジェサイアを、本当に同じステージに立たせ、完全に自分一人だけのモノにし、思う様に滅茶苦茶にしてやりたい。
彼の家族を人質に取る、などという程度の手ぬるさではダメだろう。
だが、床で濡れた口元を手で拭い、肩で息をする程までに乱れた呼吸を整えているジェサイアに対する『試し』も兼ねてスタインは言わずにはいられなかった。
「・・・『良くできました』と言いたいところですが・・・」
にこやか。だけど平坦な、冷たい声で。
「彼女・・・ラケルにさせていることをそのまま私にやってもダメですよ?」
その一言でスイッチが切り替わったように、ジェサイアが床から跳ね起き、左腋に手を伸ばす。だが彼の、いつもあるはずの銃は無い。
「・・・っ!」
跳ね起きた勢いが衰え、隙が埋まる前にスタインはジェサイアの右腕と襟首を捉え、そのまま躯を沈み込ませる。
ジェサイアの視界が反転し、背中に衝撃。
(・・・投げ飛ばされた?この俺が?)
「内監が情報収集や分析しか出来ない事務屋だと思ったら大間違いですよ、ジェサイア」
逆さまになったジェサイアの視界の中で笑顔を浮かべたまま。ジェサイアの首に冷たい、鉄の塊を押し当てて続ける。
「むしろ貴方たち、実動部門より手クセが悪い・・・」
「・・・気に入らないから殺すのか?」
「まさか」
聞き慣れた、撃鉄を引き起こす音が耳元ではっきりと聞こえた。床に叩きつけられた衝撃で痺れたジェサイアの躯が強ばる。
「実動部門の銃と違って内監のは生け捕り用ですよ」
スタインが言い終わる前にトリガーが引かれたらしい。
無音。
ただ、首の辺りが僅かに熱くなったような感触が。
「おやすみなさい、ジェサイア。
私としても貴方のご家族の事を思うと非常に心苦しいのですが、もうしばらくツキアッテクダサイ・・・・」
スタインの言葉を聞き終わる前に、ジェサイアの意識は消えた。
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