嵐のなかのハリネズミ
1998年 夏 ラクーン市
アメリカ北西部特有の抜けるような夏空が広がっている。いつもならばちょうどランチを食べに出掛けようとする人々のせいでダウンタウン近辺がわずかに活気づく時間だ。
だが…。
そこはダウンタウンの真っ只中にある古いアパートだ。五階で家賃の割りには眺めと日当たりがいい自分の部屋でクリスはベッドに座り、虚ろな目で壁を眺めて居た。開け放たれた窓からは青く澄んだ空が見える。
いつもは人々のざわめきや気配が通りにあふれていて心地よい騒がしさが窓を通して伝わってくる。それが全く伝わって来ない。通りは静まりかえっている。
いつもは屋台の、それぞれの自慢のランチの匂いが風に乗って流れてくる。天気の良い今日は一段と匂いが流れてくる。
いま流れてくる匂いはランチの香ばしい匂いではなく、鉄錆の溶けたような血と肉が腐っていく臭い…死臭がそこらじゅうから流れてくる。慣れてしまったのか、もうこの嫌な臭いを嫌だと感じることもなくなってきている。
時々、銃を撃つ音が遠くから聞こえる。
奴らに抵抗しているのかもしれない。あるいは絶望し、自らに向けたものかもしれない。または発病した身内の者が奴らの仲間にならないように、楽にしてやっているのかもしれない。
今朝方は通りに前日には無かった死体がうつ伏せで転がっていた。
きちんとスーツを着込んだその男の首は奇妙な方向に曲がっており、周囲に血が飛び散っていた。
どうやら夜のうちにここの、アパートの上から飛び降りたらしい。
日が高くなった今時分は匂いを嗅ぎ付けた奴らがたかっているに違いない。
奴ら…。
一度死んで蘇った、貪欲に人間を食らう、元・人間だったものたち。
ポケットをまさぐり、しわくちゃになったパッケージからかろうじて残っていたタバコを捜し出すと一本くわえて火を付けた。
タバコをくわえたまま、ベットのマットレスの下を探る。
冷たく堅い感触。
感触のもと…リボルバータイプの銃を引きずり出し、装填されていた弾を一発だけ残して全て抜き取る。
作動するかどうか一通り確認するが、いつも眠る前には必ず手入れをしておいた銃だ。汚れも故障も見つからない。
シリンダーの部分を回す。
頭に直接当てるのは反動などで外れるので顎骨の付け根、耳のやや後ろあたりに銃口を押し付ける。
ゆっくりと撃鉄を起こし、そっとトリガーを絞る。
がき、という音。
外れだ。
口にくわえる方が確実、と分かっているがタバコを吸うのをやめる気は毛頭なかった。
再度シリンダーを回し、トリガーを引くという操作を繰り返す。
立て続けに外れまくる。
恐怖、とかは全く感じなかった。マヒしてしまっていた。何時からか…?
あの屋敷に行ってからか?
吸い終わったタバコをもう満杯に近い灰皿に押し込むと次のタバコに火を灯し、一人ロシアンルーレットを続ける。
いつのまにか、厳重に鍵をかけたドアを激しくノックする音が響き始めた。
―奴らかな…
ぼんやりとそんな事を考えながらトリガーを引き続けた。
ノックの音に声が混じる。
「…ちょっと!クリス!いるんでしょ!開けなさいよここ!」
良く覚えている女の声。
クリスは動かない。
しばらく静かになり、金属が擦れる音がする。
ドアが開き、重そうなスポーツバッグを下げ、片手には肉片がこびりつき真ん中が湾曲した山刃(マチューテ)を持ち、ストラップでショットガンをつるしたジルが入って来た。
「いるならいるでさっさとドア開けなさ……クリス、何やってんの!」
クリスのやっている事を見て取ったジルはクリスの手にしていた銃をとんでもないスピードで取り上げ、虚ろな目のクリスの顔を力任せにひっぱたいた。
襟首を引っつかみ、一言づつはっきりとジルは言いはなつ。
「クリス・レッドフィールド、あなた一人がいまここで死んでもどうにもならない事なのよ…!」
そしてひっぱたいた勢いでクリスの口から床に吹っ飛んだタバコを拾う。まだ火はついている。ジルはクリスの隣に座り込むともう残り少ないそれを咥えて煙を深く吸い込む。
あの後。
軍が出動し、あの研究所の近辺を完全に焼き払った。
だが、それ以前に…事故が発生したその時から、タイラントウイルスとそのキャリア(ウイルスの感染者)がそこら中にばらまかれてしまっている。
猟奇殺人の被害者、その加害者である研究所から逃げ出したタイラントウイルスに感染した生物兵器。それらの死体や排泄物に含まれているタイラントウイルスは乾燥し、微細な埃となり風に乗って流れた。あるいは水に溶け込んで拡がった。
もうSTARSが動いた時点で手遅れだったのだ。
今ラクーン市だけではない。世界中にあの怪物…タイラントウイルスに感染し、発病したもと人間だったモノが歩き回っている。
昼も夜も関係なしに。
「…なあ、何で俺たちはああならないんだ?」
まだ虚ろな目のままのクリスの口から吐き出された質問にジルは答えなかった。
答えようがない。
クリスの方も答えを期待しているわけでは無い。
タイラントウイルスの事を一番知っているであろう人間はもうこの世にいない。
それでも、彼は死ぬ間際に「タイラントウイルスはホモサピエンスに感染し人を超える生命を作り出す」と言っていたような気がする。
再びクリスが尋ねる。
「これからどうする?」と。
「あがくわよ」
キッパリとジルは言い放った。
「あがいてあがいて生き延びてやるわ」
「…強いな」
「今頃気づいた?」
唇をわずかに歪めてジルは笑った。不敵な笑い。
クリスもつられて笑う。
「あがいても発病してしまったその時には…あいつらみたいになってしまって自分ではどうしようもできなくなったその時は…クリス、アンタが私を止めるのよ」
笑いが凍りついたクリスの瞳を射貫くように見つめてジルは言った。
「私を止めていいのはクリスだけだからね。だから勝手に自分で死んだりしないで」
その言葉を聞いた途端、視界が歪んだ。
―俺は…泣いているのか…?
そこは病院の手術室のような部屋だった。
手術室と違うのはそこがやたらと広く、うろついている人間は全員が頭から爪先まできっちり覆う構造になっている完全防護服に身を包んでいるということだ。
どうやら患者らしい、ベッドに横たわった二人の人間だけが防護服を身につけていない。防護服のかわりに二人は生命維持装置とセンサーの類いが体中に繋がれ、申し訳程度に薄い断熱布が掛けられている。
センサーが繋がったモニターを眺めていた防護服の一人が囁くように言った。
「眠ったようです…」
ベッドに横たわる二人…ジルとクリスの周囲にいた他の人間から一斉に落胆とも安堵ともつかないため息がもれた。
リーダーらしい一人が言った。
「チェックを怠るな。現在のところたった二人しかいない貴重なサンプルだからな…」
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BIOHAZARD2 の制作発表前に一気に書いたヤツ。よって、設定がゲームと違うのは無視希望。
なお、弐号にとってのBIOHAZARDは初作で完結してます。2も3もlastscapeもcode:velonicaも癌鯖も、『続き』ではない、別世界の事だと認識。
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