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 美唄鉄道

美唄駅の観光スタンプ   昭和47年3月、美唄炭鉱が閉山決定とニュースで知り気落ちする。
  まだ一度も訪れていない街である。
  それにまだ3月中は、小学生の子供運賃で行ける。
 しかし、どうしても
閉山する美唄の炭鉱町を見に行きたい!とは言い出せなかった。


 5月下旬、何の用事か覚えていないが札幌から旭川に父と出かける事になった。
一計を考え一足先の列車に乗り、美唄で父が乗って来る列車に合流する計画を立て実行する。
3月の新聞では、まだしばらく美唄鉄道は運行するとあった、、ような気がする。
目的の旅客列車はすでに一往複しかなく乗車は、無理だがバスで常盤台の町に行って見る事だった。
美鉄SL 4号機
  美唄駅のホームに降り驚く、E形のSLが重連でしかも
 前部に日の丸と三菱の社旗が見える。
 美鉄の機関庫は多少離れた場所にありとても駅構内を
 無断で歩いていくわけにもいかない。
 駅を出て踏み切りを渡り小走りで機関庫に向かう、
 もし、その間に出発してしまったら、、あせる。
 真谷地での苦い経験もある。
 
 同じカットばかりの絵だけど最初で最後の美唄鉄道の生きて
 いるSLを、見られカメラに収めることが出来た。
 本当は三菱バスで常盤台に行く予定だったがもうそんな時間もなく惜しいが充分満足出来た。
しかし、それから数日後テレビで常盤台の町を離れて行く中学生を交えた‘常盤台からの報告’というような
番組を見て無性に行きたくなる。 ちなみにその当時はまだ家庭用ビデオデッキが普及しておらず、番組の音声だけ録音した。
この頃は沖縄本土復帰、田中角栄内閣誕生そして読み始めた川端康成の自らの終焉等の春だった。


美唄ゆき切符 
 昭和48年10月20日
 
万字、幾春別そして美唄東明駅まで足をのばしました。
 (下記の画像をクリックすると少しだけ大きくなります。)


 美唄駅前にて
 旧塗装のバスで東明駅へ
東明駅

ホームはしっかりと残ってました

駅名板
 
 東明駅は何か外壁、屋根の塗装作業中でした。
 この場合駅舎が他に転用される場合が多いのですが
 バス待合室になると思っていました。

 
 
 東明駅ホームから常盤台方面
 線路は撤去されており、ホームには外灯の電柱もありました。
 (当時のメモには東明駅とありましたがよく遠景を見ると
  我路駅ホームから常盤台のような気がします。)




 駅名板は当時のまま。
ワンマンのままバックで配車場所に  東明駅発美唄行き 新しい塗装色でした。 

   昭和49年1月14日

       盤の沢、我路と クリックすると大きくなります 2台の路線バスが登って行きました。

    東明駅にE型蒸気機関車 2号機が保存されていた。  続きへ

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