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ここでは、彼にまつわる逸話を取り上げ、彼の人間性に触れてみたい。


・六大学のスターの座を蹴って

立教大在学中に幼馴染みであり、野球部合宿所では同室であった坪内道則に昭和十一年正月明けに突然、「ワシ、学校を辞める事に決めた」と打ち明けた。坪内は「また景浦の冗談がはじまった」と気にもとめなかった。当時、立教だけでなく東京六大学リーグのスーパースターであり、奨学金制度の恩恵を受けている景浦が簡単に学校を辞める訳が無いと思っていた。当時の六大学野球の人気は、現在の高校野球にも引けを取らないものがあり、言わばかつてのPL・清原、横浜・松坂、日南・寺原の様なスターが学校を中退して、全くの新しく出来るリーグに飛び込む様なものである。

まったくもって、唐突な行動に出たわけであるが実は、松山の実家(材木業)が傾いて、父親が苦労しており、契約金で少しでも親を助けたいと考えていたのである。


・契約金を巡って

景浦のタイガースとの契約は昭和十一年二月二十八日に交されており、その内容は年俸千六百八十円(月割りで百四十円)の五年契約で、契約書の「割増前渡給料」(契約金の様なものか?)は三千九百円となっており、この金は景浦の実家に支払われた。このため景浦自身が月々に受け取る給料は百円前後となっていた。

彼の実家の方へ給料が前渡しされている事を知らなかった景浦は、十三年に入団した釣常雄や朴賢明の方が高給だとむくれ出し、「それならオレはバッティングピッチャーだけをやる」といって手こずらせた。これを心配した松木主将が球団に対して景浦昇給の件を持ち出し、事情がハッキリし落ち着いた。

この1件だけを見ると非常にワガママな嫌な奴に見えるが、裏を返せばチームの主力であり、投打に渡ってフル回転していた彼だからこそのプライドの表れなのだろう。また、選手会も無いような当時だからこそ、自分の様な力を持った選手が一つ物を言わなければならないと思ったのであろう。現代プロ野球では、契約の際に球団との間に代理人を立てるなどしている事が見受けられるが、球団からの提示額を無条件に受け入れるのが当り前であったと思われる当時では、異例中の異例の事だろう。そして当然、前述した様に実家を助けたいとの一存からの行動であった事は言うまでも無い。


・守備をボイコット

レフトを守っていた彼の前に打球が飛んだ際に、まったく追おうともせず、じっと立ったまま見送ったため、慌てたセンターの山口政信がこれを追いかけると言った事や、故意に外角高目のボール球を空振りして、しゃあしゃあとベンチヘ引き揚げるケースも何度かあった。これは森監督が解任され石本が監督になってからは衝突する事が多かった為に起こした行為であった。

これまたワガママな変わり者に見えるが、解任された森監督は松山商の先輩であり、タイガース入団の際に非常に御世話になった恩人なのであった。常識のある人間では考えられない事だが、彼なりの義理立てだったのかもしれない。松木は「石本監督の功績を決してけなすつもりはない。だが森氏であれば若林投手や景浦、小島などはもっと成績をあげいたとさえ思える」と語っている。


・並み外れた強肩

当時の甲子園球場の外野フェンスは、現在の外野席の通路あたりにあった。景浦はこの地点からバックネットまでダイレクトで平然と投げていた。その強肩から投げ出される直球は「シューッ」と摩擦音を出して打者を圧倒していた。

この話しは今となっては眉唾物ではあるが、それでも並み外れた強肩であった事は間違いなかったのであろう。ちなみに彼は直球とシュートだけで相手打者を抑えていた。


・意外なお洒落モノ

年下の選手を連れて、ダンスホールへよく通った。持ち前の親分肌の気性で気前よく金を使った。ダンスホールにとっては願っても無い上客であった。その上、力士顔負けのでかいお尻の景浦のステップは、ひときわ光っていた。風貌に似合わず天性のリズム感の持ち主であった。

バッティングにリズム感は欠かせないと言うが、彼のバッティングにはこの天性のリズム感が活かされていた事は間違い無いだろう。


・松木謙次郎が語る

松木によると「景浦が帰還して試合に出場する夢をたびたび見たことがある。私は霊の存在をいくらか信じるだけに、目がさめたあと彼が激励にきたのか、それとも戦死したくなかったのを訴えにきたのかと考えにふけることもあった。しかし、景浦さえいてくれたらという日頃の願いが、この夢になったものかもしれない。もし無事帰還していたとすれば、藤村よりわずか一つ年上だけに、主力打者として活躍したはずで、タイガースの歴史も大きく変わっていたことであろう」「大打者の風格、貫禄を備えていた大打者は、この景浦のあと中西太、王貞治の二人しか出ていない」そうだ。(松木謙次郎著「タイガースの生いたち」より)

現在のタイガースファンが「新庄が戻って来てくれれば」と思っているのに近い感覚かもしれないが、プロ野球草創期であり選手層も薄かった時代に、投打の中心選手であった彼を失ったタイガースの主将であった松木が強く感じたのは、現代のそれとは比較にならないであろう。


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